【掲載情報】さすらいワーク「旅するように生きたい私が体験した、南砺のくらし」

以前から楽しみにしていた記事が公開されました。

2016年10月に訪問した富山県南砺市での体験です。
イントロ部分に、私の方向性についても書かれています。
(書き手の背景がわかったほうが記事として深みが増すと思って。)

《LOHAI》さすらいレポート
旅するように生きたい私が体験した、南砺のくらし

この「さすらいワーク」の構想を聞いたときから「これは面白い!」と思って、陰ながら応援していました。
それが、いつの間にか自分が「さすらう」ことになって、こうやって記事も載せてもらって、なんだか感慨深いです。

そして、記事をFacebookでシェアしたところ、

・移住したくなるすばらしレポートですね。
・読んだら行ってみたくなりました。人がやわらかいっていいですね。
・文章も写真もレイアウトも勉強になります。行ってみたくなりました。

なんて、嬉しいコメントをいただきました。
もの書きのはしくれとして、自分が受けた感動が、文章を通して人に伝わったら、これに勝る幸せはありません。

高校時代にさんざん詩や小説を書いたのに、大学生に入ってパタッと辞めたのは、「私の文章が、いったい人の何の役になっているのだろう。ただの自己満足ではないのか。」と思うようになったからです。日中働き出したら、仕事のほうがおもしろかったというのもありますが、一番の理由は「そこに時間や労力や魂をかける意義」がわからなくなったからです。

悩んだ時に私が読んだのは、村上龍さんの「13歳からのハローワーク」の「小説家」の項目でした。
そこには、簡単に言うと「小説家は”最後になる仕事”でいい。文章を書くことは紙とペンがあればいつでもできるから、やりたいことをあれこれやった後に、それでもまだやりたかったらなればいい。」というようなことが書かれていた。

私はその言葉に許しをもらって、筆をおきました。

そうして、またこうして、気が付くと、書くことを始めていました。

子供のころの想いというものは、心の深いところに静かに横たわっているものらしい。

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