「住み開く」って何なのよ?住人と旅人が融合しあう、ギルドハウス十日町(宿泊編)

中国地方一週の旅から帰って、まだ10日も経っていないのに、私はなぜか、新潟県の十日町駅に立っている。
雪は……思っていたほど積もっていない。

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キャリーバックを引いて駅前をうろうろしていると、手押し車を押した82歳の「自称・昔のおねえさん」が、にこにこ話しかけてきた。
「お姉さんは片手でキャリーバッグを引っ張れるけれど、私は両手。若い頃は片手で引けたのにねぇ。」とにんまり。
人が温かい場所だと思った。

発端は1月4日。
私が(勝手に)メンターとして慕っているウフル八子知礼さんが、Facebookで「週末にギルドハウス十日町に行く人いない?」と募集しているのを見かけた事から始まる。
「ギルドハウス十日町」のことは、何度か聞いたことがあった。「住み開き」といって、住まいを積極的に開放するスタイルのシェアハウスだと聞いていた。「ギルド」という、ファンタジー好きには鉄板の単語のイメージから、私は起業家向けシェアハウスか、アーティスト向けシェアハウスのようなイメージを持っていた。
メッセンジャーで八子さんに問い合わせると、観光の意図というよりも、その住まい方が他の地域でも展開可能なのか、具体的にどんな仕組みで成り立っているのか見に行く、とのこと。
そこから思考すること3STEP。

STEP1.
地域の生き方・住まい方を見て回っている私がこれに乗らないのは、売られたケンカを買わないのと同じくらいダメなんじゃないか(被害妄想?)
STEP2.
しかも、メンターとして慕っている人が、どんなふうに地域の暮らしを分析するかを間近で見られるチャンス!(ストーキング??)
STEP3.
しかも!偶然にも週末が空いている。これは奇跡!(ヒマ人???)

ということで、「行くこと」だけはおそらく3秒くらいで即決して、一応1日もらって交通面の段取りを整えたうえで、翌5日に正式に同行のお願いをした。
というわけで、十日町駅で八子さんはじめ他のメンバーと集合して、タクシーで「ギルドハウス十日町」着。

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■有機体のような自由で無限の広がりのある暮らし

「ギルドハウス十日町」は、北越急行ほくほく線・美佐島駅から徒歩15分、市街地である十日町駅から車で10分くらいのところにあった。(往復の移動手段と観光要素については次のエントリー参照)

周辺自体は山間部の「なにもない」ところだが、地方にしては比較的立地がいい。

こちらに、「ソーシャル隠居」こと、フリーwebプランナーの西村治久(ハルさん)さんと、その奥様をはじめ、13人の住人が住んでいるという。とはいえ、13人が毎日毎夜顔を突き合わせているわけではなく、家にいる人もいれば、特定の期間に集中して滞在する人、短期で滞在する人、拠点のひとつにしている人、と、期間は様々だ。そしてここに住まう理由も、一人暮らしの練習、雪国の暮らし体験、近くのスキー場でバイトの仕事が取れた、旅人見習い中等々、様々だ。
もっと言うと、滞在形態も、シェアハウス(という単語は似合わないのだが便宜上)の住人もいれば、私たちのように短期の滞在もいるし、Airbnbユーザーもいるし、様々だ。二日目の夜、食事の席で改めて人数を数えてみると、食卓を囲む17人中住人は半分以下で、旅行者、Airbnb、ご近所の人等々、入り乱れていた。そして国籍も、日本人を中心に、アジア圏もヨーロッパ圏もいた。英語が話せる住人もいるのでコミュニケーションに不自由はないし、たとえ言語はわからなくともジェスチャーやGoogle翻訳で何とかなるとのこと。

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ここでの暮らしは不思議だ。
朝目が覚めて、なんとなく1階のこたつがある広間に行くと、既に数名がこたつに入っていて、茶をすすっている。混ざってのんびりしていると、誰ともなく台所で食事の準備を始め、匂いにつられてほかのメンバーも料理をし始める。と思えば、大皿に料理を作ってきてその場にいるメンバーにふるまう人もいる。広間に白米とお湯は用意されていて、台所は自由に使える。食材も共有で自由に使えるし、たとえば自分で買ってきて使用目的が決まっているものについては、大きく名前を書いて「キープ」すればいい。
ちなみに、顔を見ただけでは誰が住人で誰が近所の人で誰が旅行者なのか、さっぱりわからない。並んで食事をしながら、「えっ、〇〇さんって住人じゃないんですか!?」なんてことが何度もあった。
食事が終わったらおのおの出かけたり、広間でのんびりしたり、フリーWi‐Fiを使ってネットサーフィンしたり仕事をしたり、部屋に戻ったり。そして夜になるとまた1人2人と人が増えていって、みんなで食卓を囲む。
なんだろう、シェアハウスというより、大きな家族という感じだ。
ちなみに住人になるには1人2万5000円、短期滞在する際は、それぞれの「きもち」で募金箱におカネを支払っていく(金額に指定は一切ない)。

さらに驚いたことに、住人になる際に契約書等は一切ないという。最初のころはそういったものも作っていたが、ハルさんが「コンセプトに合わない」と感じるようになって、途中で止めたらしい。ここらあたりも、シェアハウスとは似て非なるもの、という感じだ。

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■ギルドハウスの「条件」

建物自体は、築後100年が経つという。それを住人たちが住みやすいように自由に改装して住んでいる。
実はここ、所有者は別にいる。元々この家で生まれ育って、市街地に出てからも無人になったこの家を定期的に手入れしていたそうだ。そんな所有者と、ハルさんが出会った。

ハルさんは元々、全国をiPadひとつで放浪しながら仕事をするwebディレクターだった。そんな暮らしをする中で、様々なメンバーが自由に集って、双方刺激を受けあうような家を作りたいと思うようになり、条件に合いそうな物件を探していた。そうしてこの「ギルドハウス十日町」が生まれた。

ハルさんは、こうした住まいが誕生する際の必須条件として、

・好きにさせてもらえる家
・好きにさせてくれる大家さん

のふたつを挙げる。
この条件を満たす家が、「たまたま」十日町にあったから、「ギルドハウス十日町」になったわけで、もしかしたら「ギルドハウス一関」や「ギルドハウス奄美」になっていた可能性もある。そのくらい、ハルさんは地域でなく家と大家さんにこだわった。

ちなみに、ハルさんとしては、あくまで大家さんから賃貸しているという形に価値を見出している。
というのも、地域に縁もゆかりもない人々が暮らすうえでの橋渡しになってくれるからだ。
古民家を購入して自分でリノベして…でいいわけではないらしい。

ちなみに、このモデルを「古民家」という特異な場所でやるのは必須条件か、それとも新築アパートでもできるのか、という議論があった。
その時に私が思い出したのは、2016年秋に訪問した富山県南砺市での体験だ。
山に囲まれた金色の稲穂の海の中で、地元の農家さんの稲刈りをお手伝いしていた時に、「移住人口が増加して、ここにアパートでも建てたりして」と言ったら、「そしたら人が来なくなるんじゃないかな」と言われた。

確かに。

こういう場所にわざわざ移住体験や農業体験に来る時点で、地域や自然の中の暮らしに一定以上のあこがれを持っている人たちが来ていると思われる。そういう人たちに、「はい、便利で新しい住まいを作りました。新築のアパートです!」と言っても、おそらく魅力を感じないだろう。

あと、ある程度の「未完成」感が大事なのではないかと思った。
マンションやアパートのような建物の場合、「家」は「家」として確立していて、「ちょっと壁をぶち抜いて窓を増やそう」とか、「壁に絵を描こう」とはなりにくい。ところが、元々が古い古民家だと、自分の「住まい方」に合わせて家に手を入れることができる気がする。そういった、「未完成」感と、自分の暮らしを軸に家を発展させられるワクワク感が、地方移住や地域活性のひとつの魅力なのではないか、と思った。

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■1年間で3000人を引き付ける魅力とは

しかし、入居条件に契約書もなく、今夜何人の人が食卓を囲むかもよくわかっていない家に、住人トラブルはないのか、と思う。
これが、「ない」とのこと。
しかもハルさんは「ないと確信していた」とのこと。

よっぽどの性善説なのかと思いきや、そういうわけではない。

「『豪雪地帯の古民家に共同で住まう』という選択をする時点で、人間のタイプがある程度セグメントされて、職業や出身地・生い立ちはバラバラでも、ある程度似た人たちが集うと思った。だったら、住人トラブルは発生しないと思った。」

とのこと。

この発想は、先ほどの契約書を設けないという話とあいまって、すごく家族的だと思った。
たとえばある姉妹がいて、いくらケンカをしても、「お姉ちゃんが家族内のルールを違反しているので、他のお姉ちゃんと変えてほしい!」という話にはならない(たまになって、痛ましい殺人事件とかが起きる)。
「私たちはこの家を軸にファミリーなんだ。」という、契約書では作れないこころの一体感みたいなものがあるからこそ、住民同士は協力し合うし、それぞれの趣味嗜好やライフスタイルを尊重するし、トラブルも起きないのではないかな、と感じた。
しかも、コンセプト型シェアハウスと違って、どんな人でもゆるゆると受け止める懐の広さがある。ここにはwebディレクターもいれば、文房具店の販売員もいれば、アーティストもいれば、ラジオパーソナリティもいれば、ニートもいれば、旅人もいる。国籍もバラバラだ。それが家族のように住まうことで、1人×1人が1じゃなくて3にも5にもなり、そこに新たなノウハウやスキルやテイストが入ることで、無限の形に広がっていく。

そして、そんな「大きな家族」みたいなつながりに魅力を感じて、人が訪問し、口コミで広がり、メディアでもたびたび取り上げられ、一度来た人がまた別の仲間を連れて来るようになり…、というサイクルを繰り返している。ギルドハウスは2015年にできて、初年度で約3000人が訪問したという。国内外問わず、職業や来訪目的も様々だ。旅人たちがやってくることで、ギルドハウスには常に外から新しい風が入ってくる。

2泊3日の暮らしを終えて、ギルドハウスを出るとき、あまり寂しい感じがしなかった。
まるで、帰省していた実家を出るときのように、「じゃ、また戻るからね。」という感覚だった。
こういう感覚になれること、それが、ハルさんたちが作り上げた家の魅力であり、ここに人が集まる理由なんだろう。

ハルさん、みなさん、本当にお世話になりました。
また遊びに行きますね。
ありがとうございます。

※本ブログはあくまで私のギルドハウスでの経験を通して感じたことをまとめているのであり、ハルさん、住人のみなさんの感じ方とは異なる場合があります。あくまで落合絵美の感じた「ギルドハウス十日町」ということで、よろしくお願いします。

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