あれから9年経って思う、伝えることの大切さ

朝起きて、何かSNSに投稿しようかと思って、やめた。
なんだか「パフォーマンス」的な感じがして、心のなかに書くべきことが出来たら書こうと思った。

9回目の、3.11。

今年は異例の追悼の日だ。
巷は流行りのウイルスの影響で、3.11関連のイベントも自粛。
理事を務めている「きっかけ食堂」も、今日のイベントを情報発信のみに切り替えた。
私個人としても、東北での活動が生活のひとつだったのが、徐々に全国の地域おこしに関心を持つようになり、昨年は妊娠も発覚し、もはや「東北で活動していました」なんて言えないくらい現場から離れてしまっている。

でも、当時お世話になったみなさんのSNS投稿や、追悼番組を見ていると、自分の中に色んな思いが生まれてくる。

■9年目に改めて思う、「伝えること」の大切さ。

9年経って、日本は今、新たな危機に襲われている。
危機の名前も書きたくない。何しろ私は今、この危機の影響で、若干気持ちを病んでいる。事業に影響が出ているわけではない。自分が感染しているわけでもない。ただ、人と人とのぶつかり合いに疲れてしまった。

名称を書きたくないので、「例の危機」と呼ぼう。
「例の危機」は、世界で初めて起きた「誰も正しい解決策を知らない危機」だから、色んな意見が出ている。

やれ、経済を回せ!
いや、イベントは自粛しろ!

効果ないのにマスクをするなんてバカだ!
いや、マスクしないで咳でもしたら白い目で見られるだろ!

検査はもっとすべきだ!
いや、それをすると医療が崩壊するのもわからないのか!

色んな意見がある。
あって当然だと思う。みんなそれぞれ違う経験を積んで今がある。
それぞれの知識、それぞれの観点、それぞれの感性。
意見が違って当然だ。

もちろん、国としてはひとつの方針に沿ってイニシアチブを発揮していく必要がある。でも、その下の個人が何を感じ、何に恐れ、何を大切にするかは、本来個人の自由のはずだ。

でも、今回の「例の危機」を見ていて思うのは、そういう個人の痛みや想いを無視したり逆撫でるようなコミュニケーションがあまりに多いということ。

■その言葉は伝わりますか。誰かをいたずらに傷つけていませんか。

言いたいことを言い、書きたいことを書くのは、個人の自由だ。
ただ、言葉を用いるということは、「伝えたいことがある」ということだ。

伝えるには、時に強く言ったり、極端に表現したり、色んな方法がある。
でも、闇雲に人を傷つけたり、感情を逆なでしてはいけないと思う。
傷つけられた人が悲しいのはもちろん、伝えたいことが伝わらなくなるので、結果的に自分も悲しい。

主張したい内容がまっとうであっても、ちょっとした語尾で人を小馬鹿にしたり、主張が合わない人を無能呼ばわりするような言い回しをしたり。

いや、わかっている。自分もそういうところがある。
だから、何かを言える立場にはないのかもしれない。
でも、だからこそ、自戒を込めて、いま思う。

言葉は、人を傷つけるために使ってはいけない。そして、使う意味もない。

議論するにも、反対意見を言うにも、方法は色々ある。
相手の言葉を一度汲み取ったり、一定の理解を示した上で自分の意図を伝えたり。同じ主張をするにも、ちょっとひと手間かけると丸くなるし、ちょっと手を抜くととんがった刃になる。

■あの時、傷つけてしまった人たちに謝りたい

なんで3.11に寄せてこんな内容のブログを書くかと言うと、それは私自身が、東北の復興関連の活動で、随分といらないいさかいや言い合いをしてきたと思っていて、かつ、それを後悔しているからだ。
もちろんその当時は、自分が喧嘩をふっかけているなんて思わなかった。自分なりに考えて、おかしいと思うものには意見を言い、時に怒った。

でもその時に、相手への配慮は出来ていただろうか。
人には人の事情があるということを想像した上で、衝突していただろうか。
正直、まったく自信がない。
私にとって3.11は、東北の復興を想う日であり、仲間を想う日であり、一方で、未熟な自分が傷つけてしまったであろう人たちに謝りたい日でもある。

■伝えることの難しさに苦しみながら、これからも伝えていく

復興もそうだし、「例の危機」もそうだけど、正解はないし、人の数だけ答えがあるし、人の答えも日々変わっていく。人に何かを伝えるって、本当に難しいと思う。

例えば、状況的に私は今「未婚の妊娠・出産」について語る機会が増えているけれど、人によっては不愉快に感じたり、耳を覆いたくなる人もいる。自分の記事に対するコメントを見ると、本当に色んな意見がある。
誰かを傷つけたいわけじゃない、多様性を尊重しながら、自分も多様な個性のひとつとして、誰かを批判したり比較するわけでもなく一人の生きざまを綴ってもこうなる。本当に、書くこと、伝えることは難しい。

それでも私は、何かを表現しないと気がすまないし、伝えることで誰かの役に立ったり、誰かの痛みに寄り添ったりできると信じているから、これからも言葉を紡ぐ。

その中で、繰り返し、何度も思い返そうと思った。

言葉は、人を傷つけるために使ってはいけない。そして、使う意味もない。

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