「選択」においてもっとも大切なこと。
朝、目覚ましを止めてすぐに起きるかどうかから始まり、その日着る服、持ち物、音楽は何を聞くか、すれ違う隣人に声をかけるか会釈だけにするか、ランチはどこで食べようか。
私たちの毎日は、「選択」の連続で成り立っています。
もちろん、もっと大きな「選択」もあります。受験や就職もそうですし、転職や独立、結婚や出産、何を選ぶかで未来のカタチはまったく違ったものになります。
■「産み時」に関するコラムにいただいた感想
先日、日経クロスウーマンで「産み時」について文章を書きました。
私は37歳の独身女性で、20代前半で結婚・離婚を経験して子どもはナシ。女性にとって「いつ産むか、または産まないか」は重要な選択ですが、私の場合は先にキャリアの足固めをして35歳で独立。自分で仕事をコントロール出来るようになった今、授かれるものなら子どもを産み育ててみたいけれど、焦るものでもないので自然に任せている、そんな状況です。
女性の出産時期については様々な意見があるのはわかっています。
「なに悠長なことを言っているの!」というご意見も想像できたので、コラムの後半で「選択」について書き添えました。その後、この「選択についての考え方」について、読者から反響を頂く機会がありました。
■どうせ「正解」のない人生で「選択する」ということ
具体例がないとわかりにくいので、私の産み時についての話を続けましょう。私の場合は「自然に任せる」という選択をしているので、もしかしたらこのまま機会が訪れずに、出産という経験は出来ないまま人生を終えるかもしれません。ではこの判断は、「不正解」だったのでしょうか。仮に「不正解」だったとして、焦っているわけでもない私が、その気もないのにお見合いでも始めることが、「正解」と言えるのでしょうか。
別の例を出しましょう。
私は現在独立して働いていますが、前職でキャリアアップしていけば役員という道がひらけていました。それを断って独立し順調に業績を伸ばしているので、私の選択は「正解」だったと思いますが、果たして5年後、10年後も「正解」であり続けるかは、私にはわかりません。
なにが言いたいかというと、つまり「選択」に「正解」はないのです。ないと言うか、「正解だったかどうか」の判断がつかない。なぜなら、違う選択をした時にどんな道が開けたかは、誰にもわからないからです。
■選択において大切なことは、たったひとつしか無い
たまに、自分の行った選択が正解だったのかを悩み続ける人がいます。または、不正解だったと決めて自分を責め続ける人もいます。
人として、その気持は分かります。でも、もしその悩みや自責があなたの気持ちをネガティブにさせたり、自信を失わせたりするたぐいのものなら、とてももったいないと思います。なぜなら、先程も述べたとおり、どうせ「選択」に「正解」なんてないのです。「合っているのか間違っているのかわからないもの」に対して、ずっと心を囚われていることに、何の意味があるのでしょうか。
「選択」において最も大切なこと。
それは、自分の「選択」に「誇りと責任」を持つことだと思います。
あなたは何かを選んだ。
きっとあなたはあなたなりに、真剣に考えてその決断をしたのでしょう。もしかしたら、「決断から逃げる」とか「目を背ける」といった、「決断しないことを決断した」のかもしれません。真剣に考えたけれど、選ばなかった道のほうがあとになって魅力的に見えることもあるかもしれません。
でも、あなたはその時、きっと真剣に考えたはずです。そしてその結果ひらけた未来が仮にパッとしなくても、思わぬ事態を招いても、その時のあなたのベストな選択肢だったはずです。それは一人の人間の、素晴らしく尊いひとつの選択なのです。
■「誇りと責任」が人を強くする
人生、思うようには行かないものです。取り返しのつかないミスを犯すこともあるでしょう。「あの時こうしていたら。」と過去を苦々しく振り返ることもあるでしょう。
もし自分の選択が間違ったと思ったら、過去の自分を責めるのではなく、違う選択に向かって舵を切ればいいのです。それは、過去の自分を否定することではありません。今の自分にとってベストな選択を重ねていけばいいのです。
時に、もう後戻りできない選択もあります。「あの人と結婚すればよかった」とか、「あの時子どもを産んでいればよかった」とか、もしかしたら私も10年後くらいに「ちゃんと妊活しておけばよかった」と思うかもしれません。
そんな時、自分の選択に誇りと責任を持っていれば、私たちはまた一歩先に進めます。
「あのときはあの選択がベストだったんだ。だからまた、自分にベストな道を選択していこう」と。
自分の選択に誇りと責任を持てないと、結果的に窮地に陥ることが多いと感じています。うまく行かなくなった時に、他者や環境に責任を求めてしまいがちだからです。
「業績が良いから転職したのに、たった数年で赤字に転落。転職エージェントに騙された!」
「幸せな結婚が続くと思っていたのに、暮らしてみたらパートナーが人でなしだった!」
と、ぼやき続けるのは簡単です。でもそれで、あなたの人生はより良くなるでしょうか。
「選んだのは私だ。あのときはそれがベストだった。」と自分を受け入れ、「またベストを選ぼう」と模索し続ける。
その繰り返しが、人生をより素晴らしいものにすると、私は信じています。
コメント
私は28歳の時、転職で悩みました。子供が一人、そして妻のお腹にもう一人、職場は元、電電公社で安定した環境です。当時、1974年、電電公社を辞めるなんて正気じゃない!と妻初め周り全部反対。しかも不安定な不動産会社、悩みに悩んだ末転職しました。最終的に決断したのは、後で後悔したくなかった。妻にも、今のまま居れば、安定した一生送れるだろう。だけど、年取ってから、あのとき転職していれば、自分には違う人生があった!と妻を責めるかも?それは嫌だ!どんな事があっても、路頭に迷わせる事はしないから!後で後悔したくない。との想いを伝えて転職しました。お陰様で来年息子への事業承継を、決断、発表しました。今後もまだまだ選択、決断する場面が来ると思いますが、後悔しない。様に選択して行きたい❗
上田福三さま
コメントありがとうございます。息子さんへの事業承継、素晴らしいですね! おめでとうございます。
私も「やらない後悔よりやる後悔」のタイプの人間なので、思い立ったら実行。あとはひたすら頑張るというスタンスでいます。自分の選択を他人のせいにしてしまうと、本気では頑張りきれなくなってしまいますからね。これからも誇りと責任を持って選択をし続けていきたいです。