Dive to Shenzhen 〜深セン旅行③ 一見どころか何度も見たい夜の眩さ〜
5ヶ月遅れの深センレポート、第3回目は、私がこのタイミングで深セン行を強行した理由である、夜景を中心にお届けします。
年末年始にたまっていたビジネス誌や経済誌をいくつか読んでいると、「米中貿易摩擦」「交渉期限3月1日」という文字が出てきた。米中貿易摩擦については当然把握していたし、中華経済が落ち始めているというのも聞いてはいたけれど、具体的に「3月1日」という期限を意識したのはこのときだった。
ブログ「Dive to Shenzhen 〜深セン旅行① Introduction〜」より。
深センの「LEDマッピング」が超絶やばいという話は、2018年の秋くらいからキャッチしていた。こちらのねとらぼさんの記事なんかを震えながら読んだ。
これは絶対に見に行くぞ、と思った矢先に、米中貿易摩擦が発生。
私の性格として、何事もタイミングを大事にしている。その頃はまだ、Huaweiの締め出しも起きていなかったころ。米中貿易摩擦のことを気にしている人なんて、中国と貿易をしている人や経済寄りの人くらいで、ビジネス系の人でも「なんだかんだいってアメリカが妥協するでしょ?」と言っていた頃。でも、私にとっては一大事だった。
「もしかすると、今の深センの美しさは、今しか見れないかもしれない。」
そう思って、一番早いオフでエアを押さえた。偶然にも春節にハマってしまったけど、メインの一週間は避けているし、まあ少しはマシかな?と考えた。
こうして深センについた私が見たのは、想像以上に美しい光景だった。
当時の私の感動しきった音声が入っているのが今となっては恥ずかしいけど、これが素直な私の感激だった。
凄い! キレイ! 圧倒される!
…そして、なんで日本は、こうなれなかったのだろう。
二晩に渡って、ひたすら夜景を見て歩いた。宿を取っていた羅湖周辺と、中心地の福田の夜景をひたすら見て歩いた。ため息しか出なかった。春節に当たって街は閑散としていたけれど、それでも本当に美しかった。
■「なぜ日本はこうなれなかったのか」の自分なりの回答
上にアップした動画の中にエモーショナルな解説を残しているけど、日本の息苦しさ、監視とも思える同調圧力、他者への過干渉、そういったものが、日本経済の発展を阻害させたと思っている。
変化が早いこの時代、なにが成功するかなんて、やってみなければわからない。にも関わらず、大人は大人顔で若い芽を潰す。その気もないのに、残酷に。
あとは、簡単に言うと、あぐらをかいたのだろう。「Japan as Number One」という幻想。
深センの夜景を見ながら思った。
私は絶対に、そんな大人にはなるまい。
これからの日本経済を背負うのは、自分より1歳でも若い人々だ。
その彼らの活動を応援し、励まし、迷ったときには導ける人間になりたい。
そう誓いながら、一人、ひたすら夜の道を歩いていた。
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