「女性」という括りが苦手な私が女性向けメディアのアンバサダーになった理由

表題どおりだけど、私は「女性」という括りがあまり好きではない。
もっというと、「フェミニスト」みたいに言われるのもあまり好まない。
なんなら「女性用の何か」もあまり興味がない。

メークもどうでもいいし、ファッションも「好きなもの着ればいいじゃん」って感じ。
思いっきり女性性を出したいときはそういうふうにすれば良いし、ユニセックスでいたいときはそうすればいい。
私にとって、「自分の好きにすればいい」以外の基準がないので、たまに「この服のほうが女性らしいよ」とか、美容についてもう少し詳しくなったらとか言われると、「それは一体誰のための身繕いなんだろう」と思ってしまう。

■「女性」という生物はいるけれど、「女性」という個性はいない。

どうしてこうなったかという背景を書くとかなり長くなるしややこしいので詳細は省くけれど、とにかく私は「女性っぽい」と思われるものを避けてきた。一番嫌だったのは、幼稚園とか小中学校とかでの、女子同士の群れているあの感じが嫌だった。どこに行くにもグループ。トイレも声を掛け合って行く。同じような行動、受け答えをしないとすぐに異分子扱いされる。キティちゃんもセーラームーンもルーズソックスもプリクラも、みんな嫌いだった。本当に嫌いだったのか、彼女たちが嫌いだったから嫌いになったのかはわからない。とにかく、嘘を付くのは嫌いなので、嫌いなものは嫌いと言うと、やっと一人になれた。遊ぶのは、大体ちょっと地味なクラスの男の子たちだった。

その流れから、「女性のための」と名の付くものは、あまり好きではない。
いろんな女性がいるのに「女性の」とついた瞬間、「ピンクのフリフリ」みたいな印象になるのが好きではない。

「そのくせ、エロス要素多いじゃん」とか言われそうだけど、それは私の趣味であり、私の個性や与えられたパーツを活かす上で気に入っているのでそういうファッションをしたり会話をしているだけで、女性性を主張したいわけではない。

「女性」という生物はいるけれど、「女性」という個性はいない。
あくまで性は、人のパーツのひとつでしかない。
「わたし」は「わたし」であって、「わたし」を「女性」というイメージで縛られたくない。

■わたしはフェミニストではない、多分。

投稿柄、フェミニストと言われることがたまにある。
でも、それはちょっと違うんじゃないかな、と個人的には思っている。
私はただ、「権利や自由を阻害されている人や状況」が嫌いなだけ。
別に女性に特化しているわけではない。

性別なんかに縛られずに愛する人と愛し合える社会が来ればいいと思っているし、
国籍や生まれた土地によって人が差別されることもなくなればいいと思っているし、
人のワガママで捨てられるペットが1匹でも減ればいいと思っている。

そうやって、自分が色々理不尽さを感じるものの中に、女性と社会の問題があって、それはやっぱり当事者という都合上、もっとも見たり感じたりすることが多いから、投稿数も多くなるだけ。

■「女性」という括りが苦手な私が女性向けメディアのアンバサダーになった理由

Facebook等ではお知らせしている通り、日経BP社が展開している「日経XWOMANプロジェクト」(クロスウーマンプロジェクト)のアンバサダー選ばれました。300人くらいいるので、正直、そこまで大したものではないです。
でも、発信力があって、世に何かを届けたい熱意のある女性と認められたことは、素直に嬉しいですね。

日経BP社は、2019年2月に下記の女性向けwebメディアをスタートさせます。

「日経doors」
2019年2月創刊する20代~30代の働く独身女性のためのWebメディア

「日経ARIA」
40代~50代の働く女性のためのWebメディア

上記と既存媒体「日経DUAL」を横断する形で女性インフルエンサーがブログを執筆するサイト「日経XWOMAN Terrace」(クロスウーマンテラス)が2019年5月に公開されます。こちらで、ブログを執筆する予定です。

正直に言うと、「女性の(WOMAN)」と付く媒体でブログを持つことが、自分の今後のキャリアやブランディングに良いかどうか、一瞬悩みました。それこそ「フェミニスト」という色が強くなるのは避けたかったですし、軽く女性恐怖症な自分がたくさんの女性たちに囲まれて記事を書くイメージが沸かなかった。

でも、以前から問題と思っていたことのひとつに、「ビジネスや生き方について、女性目線で論じられるメディアがない」というものがありました。もちろんごく普通のビジネスメディアの中で女性として意見を言えばいいわけですが、「ビジネス」と名がついた瞬間に男性ユーザーが圧倒的に多くなる。そうなると、論じられる内容も、自然と男性目線になる。少し女性が意見を言うと、あっという間に男性の意見に周囲を固められて、さもそれが正論のようになる。これで、本当に建設的な議論ができるのかなあ、と。

たまに話題になるじゃないですか。「女性に働きやすい社会を!」とか言ってできた団体の構成員が全員油ギッシュなおじさまとか。いや、おじさまはいいんですけど、全員それで、現場に合った議論ができるのか、と。

■「わたし」は「わたし」と言える人を増やしたい

私は比較的空気を読まないので、いつでもどこでも言いたいことを言って、たまに周囲をドン引きさせる。でも、みんながみんなそういうわけではない。
なんとなく不満を感じているけど言えないもやもやとか、ディスカッションしたいんだけど、意見を求めると男性からのアドバイス(もちろんそれもありがたいんですよ!)に囲まれて趣旨がずれたりとか、そういうのを、バーンと女性同士で意見しあえる場があるといいんだろうな、と。

今回の件に限らず、私がいろんな不条理や差別や理不尽な何かに対して、一貫して伝えたいのは、「わたし」は「わたし」である、ということです。
それは、単に私が自己主張激しいというのもあるけど、そうじゃなくて、みんながみんな自分らしく存在できたら社会派もっと良くなると思っている。なぜなら、「わたしはわたし」を主張する人は、誰かの「わたしはわたし」も尊重しなければならない。そうやって、変な同調意識とか、変な義務感とかがどんどん減っていったら、それだけで世の中は少し幸せになると思う。

そんなわけで、まだだいぶ先ですが、「日経XWOMAN Terrace」でブログを書くことになりました。
何かを主張したいというより、誰かが読んだ時に、「ああ、こんな人もいるんだな。私はどうすっかな。」と思えるような文章が書ければいいと思う。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です