私の”きっかけ”「地方創生」そして「学生」。

思い返せば、ずいぶん遠くまで来たものだと思う。
あの時、地震が起きなければ、今の私は、多分いない。

助けあいジャパン。
きっかけバス。
東北食べる通信。
第八開運丸CSA。
岩手県一関市のPRサポーター。
東北オープンアカデミー。
復興バー・エイミーのいちのせキッチン。

あと、何をやっただろう。
とにかく、がむしゃらに活動してきた。東北で。

それが誰かの役に立ったのかはわからない。
でも、たくさんの人が、「エイミー、エイミー!」ってかわいがってくれるから、きっと半径5メートルくらいの人々は、しあわせにしてきたと思う。

きっかけは、たった一人の東北生まれの男の子だった。
いつだって私は、好きな人のためなら何だってできる。

そんな、真面目だけど被災者からしたら打算的に見えるかもしれない動機がきっかけで関わり始めたのに、その人との関係を解消した後も受け入れてくれた東北に、感謝している。

■あの頃のすべて

東北に生活の多くをかけて関わっていたのは2012年~15年の間くらいだと思う。でも、その中で最も熱狂したのが「きっかけバス」だった。

最近の投稿で結構説明しているので、もうクドいかもしれないけれど、一応説明する。

「きっかけバス」というのは、公益社団法人助けあいジャパン(当時)が始めたプロジェクトだ。
私は会社員をしながら、「プロボノ」という形でこの団体の広報活動を支援していた。

当時、震災に関連してたくさんの学生団体が立ち上がり、東北でボランティアをしていた。
でも、東北への交通費ってバカにならない。バイトして足代稼いで東北に行って活動して、またバイトして…という、本当に頭の上がらない学生たちがたくさんいた。
または、東北に行ってみたいけどどうしてもおカネが足りない、または、そもそも関わりたいのにあまりに悲しい事態に、どうやって関わっていいかわからないで手をこまねいている子たちがたくさんいた。

一方で、東北にボランティアに行きたいけれど、仕事が忙しかったり、家庭があったりで、どうしても頻繁には行けない社会人たちがいた。

この、「時間があるけどおカネはない学生」と「お金はあるけど時間はない社会人」を結びつけて、学生の交通費や滞在費を社会人や企業が負担し、学生が東北で活動し、東北の現状を見て、ボランディア活動をしたり、防災について学んで自分の住む地域に持ち帰ったり、、、というのが、きっかけバスのコンセプトだった。

一連の「助けあいジャパン」の活動の中で、私は圧倒的にこの取組に感化された。
コンセプトが美しかった。
そして、主体となっている学生たちの熱意や賢さ、真剣さに感動した。

正直、それまで学生に大した期待はなかった。
でも、彼らを目の当たりにして、「そのへんのアホな社会人を3人くらい束ねても彼ら一人には敵わない」と思うくらい、彼らは素晴らしかった。

いつしか私は、彼らを「子どもたち」とか「あの子」とか呼ぶようになった。

成人前後の優秀な学生を「子ども」と表現するのは失礼だという感覚もあった。ムッとした子たちもいたかも知れない。でもそれは、私の中で彼らは完全に「自分の子供と同等なくらい愛しい何かになった」という意味の表現だった。
当時約2000人の学生たちがいたけど、よく知っている子も、そうじゃない子も、「きっかけバスの子」というだけで、私には自分の子どもだった。バカにしているんじゃない。そのくらい、愛おしかったし、人として本気で向き合っていた。

■自分の無力さと、心に決めたこと。

この顛末は、書きたくないというより、お気楽なプロボノ風情の私が触れるべきではないし、多分私が知らない顛末もいっぱいあるし、まだ傷ついている人もいるから気安く語ってはいけないのだけど、さらっと触らないと話がつながらないので触れると、きっかけバスはすごいプロジェクトだったけど、1年とちょっとで終了した。
大人がおカネを集めると学生たちに約束したのに、私たちはおカネを集めきれなかったのだ。

当時私は、働きながら無償で広報活動をしていたけど、広告に換算すると3億円を超えるくらい、きっかけバスをメディア露出させた。自分が動くだけじゃなく、各県の学生たちに広報のノウハウを伝えて県の記者クラブで会見してもらったり、ゲリラ的に動いた。会社を休んで東北の記者クラブを回ったりもした。

でも、広告換算で3億円超のメディア露出をしたって、3億円が集まるわけではない。

次第に窮地に立たされる、団体の大人たち。傷つく学生たち。

私は、一番気楽だった。結局「プロボノ」なんだ。負債の返済義務もない。あったとしても、当然払いきれない。自分の無力さを痛感し、自分の中途半端さを恥じた。

でも一つだけ決意していたことがあって、それは「何があっても、誰が批判しても、絶対に子どもたちを守る」ということだった。
あと、彼らが悲しんだり窮地に立ったりしたら、絶対に励ますし、ベストなサポートをする、ということだった。

取り組みを批判する人と、ずいぶんケンカもした。でも、全然それでよかった。

■バスの後の私、東北へ、そして全国へ。

「きっかけバス」は、そんな事情でなくなってしまったけど、学生たちは自分たちの手で、「きっかけバス」の後継団体である「つながり大作戦」を作ってくれた。これにも、私なりに関わった。団体を立ち上げるか悩む子たちをクルマに乗せて福島を旅したり、団体ができた後は、関連イベントを見に大阪まで行ったりした。

その後、バスに関わった時間を東北の他のことに使うようになった。
一関市や格之進のPR活動もそうだし、東北食べる通信へのコミットもそうだった。

一関のPRサポーターとして4年に渡り、東京で復興バーの女将を勤めて毎夏イベントを開催し、私は引退した。少し、疲れてしまったというのもあるし、独立が具体的になっていたというのもある。

その他の地域にも関わるようになり、東北は「私の地方創生のすべて」から「全国にある関係エリアのひとつ」になった。

生真面目なもので、それはそれで辛かった。
「東北のみんなは、きっと私を不義理な人間」と思っているだろうって、一人で悲しくなっていた。余計に東北に近寄れなくなった。
その分他の地域での活動にコミットできた。
言ってしまえば地方のハッカソンに行くのだって元をたどれば東北で地方創生に関わったからだし、私が地方の大学生との会話を大切にしているのもバスの子たちとの関係があったからだ。

■「理事になってくれませんか?」

バスの子たちとは、当然だんだん疎遠になっていったけど、彼らが社会人になり、それぞれ活躍するようになって、またちょこちょこ、ばったり会うようになった。

地方創生のピッチコンテストを見に行ったら、当時の学生が社会人になっていて、ファイナリストに残っていたり。地方で就職した子が東京に出てきてご飯食べたり。私が地方に行ったときに会ったり。銀座の飲み屋に行ったら、隣の席でイケてるビジネスマンになって食事してたり。
彼らの成長が、キラキラしていて本当にステキだった。

「きっかけ食堂」のことは、「きっかけバス」が産み落とした素晴らしい取り組みとして、遠くから眺めていた。毎月11日に飲食店を間借りして、東北の食材を取り寄せて開かれる食堂。東北のことを思い出し、東北に関わるきっかけを作る場所。
店を始めた女の子は、当時の学生の中でもよく知っている子だったし、情報だけは追っていた。でも、当時は京都で開催していたということもあって、私が行くことはなかった。
それが、学生が社会人になり、東京で就職し、東京でも「きっかけ食堂をやる」という。何度目かの11日に、やっと行ってみた。普通に満席で、驚いた。ご飯も美味しかったし、みんな幸せそうだった。

そういう姿を見る度に、自分が救われる気分だった。自分が奔走していたあの時間は、無駄じゃなかったんだ、って。
そしてある時、「NPO化したら、理事になってくれませんか?」と言われた。
月並みな表現だけど、震えた。
私で良いのか?という思いと、自分が当時の学生たちに本気で向き合ってきたことが伝わっていた喜びと。
即答で、ベストをつくすと応えた。

■人は色んな負い目を背負っているけど結局進むしか無い

即答はしたけれど、懸念もあった。

気持ちはあってもプロジェクト自体は潰してしまった中途半端な自分が、理事なんか受けて良いのか?という思い。
あとは、自分には東北とは全く別件でクラウドファンディングの実績があったけど、達成後に支援者たちに不義理をしていた。

もちろん、不義理をしたくてしたわけではない。人間関係の限界とか、体力的限界とか色々あって、それでもその時のベストを尽くしたつもりだった。
でも、支援者にはそんなことは関係ない。失った信頼は、早々簡単には取り戻せない。でも、リカバリする体力も心の余裕もない。

正直悩んだ。
でも、悩んでも、何もしなかったら、あとで結局もっと悩んだり傷ついたりするってわかっていた。
あと、何もしなかったら、誰も幸せにできない。
人は色んな負い目を背負っているけど結局進むしか無いと、腹をくくった。
批判は、甘んじて受け入れて、土下座する覚悟でいる。

■「きっかけ食堂」は仲間を待っています

「きっかけ食堂」は、現在クラウドファンディングに挑戦している。
幸い、本日100%を達成しました。私の大切な人たちも何人も支援してくださって、本当に感謝です。いつもありがとうございます。
私たちは、おカネ以上に仲間を求めています。
月に1回でも、忙しかったら2ヶ月に1回でも良いと思う。
ふと、東北を思い出す仲間たちを。そこから自分の地域のことを思ったり、人との関係性を思ったり、それはなんでも良いと思っている。

これは立ち上げメンバーの思いとは異なるかも知れないけれど、わたしは「きっかけ」を与えられさえすれば、それが東北に直結しなくってもいいと思っている。

“食”で東北を応援して5年。今こそ、きっかけ食堂を全国へ。

こういうことは、誰かに強制するものではないので、ほんと「あなたのシュミに合ったら」でいい。もし「こんな食堂、ちょっといいな」と思ったら、ぜひ仲間になってほしいし、会員にならなくても、飲みに来てほしい。

いい場所ですよ、あったかくて、美味くって。

人のしあわせとか、想い合う気持ちって、循環していると思う。
私が学生を支えたり、支えられたり。豊かな人間関係って、そういうものだと思う。

再び、私を迎え入れてくれてありがとう。
元学生たちも、支援者たちも。

ありがとうございます。

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