「きっかけバス」にきっかけをもらったのは「私」だから。

今年も、この季節が来た。
まず、無事に来てくれたことに、本当に感謝したい。

きっかけバス47

私の、クソ長いプロフィールにも少し書いたけど、きっかけバスは、「私の2013年の青春」だった。
9月の東北リーダー研修の立ち合いから始まって、夜な夜なリリース書いたり、週に3回は事務所行ったり、遠方の学生とスカイプしたり、有休取ってロケに立ち会ったり。それが、自然とできた。何の苦もなかった。というか、手伝わないでいる方が辛いくらい、のめり込んでいた。

知らない人のために少し書くと、「きっかけバス47」は、全国47都道府県から約2000人の大学生が東北に行き、ボランティア活動や現地の方との交流、防災教育を通して、東日本大震災から学んだ知識を各地元に持ち帰り、各都道府県での<震災の記憶の風化防止>と<防災ノウハウの浸透>を目的として行われた運動だ。

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全国から集まった学生たちは、一部を除いて東京まで公共交通機関でやってきて、東京駅の高速バスターミナルや羽田空港のバスターミナルからバスに乗り、東北への旅に出る。時に大雪の日もあった。出来るだけ、毎夜毎夜、見送りに行った。見送らないと、あんなに頑張ってきた学生たちに失礼だと思った。

感慨深い動画が残っていた。

2014年2月1日、きっかけバス47の第一弾・岐阜のバスが東京駅を出発した時の動画。
震えながら撮影したのを覚えている。

笑ったり喜んだり、ばかりじゃなかった。
睡眠不足なんか当たり前で、泣いたり、怒ったり、衝突したり、仲たがいをしたり、辛いことも多かった。
サポートしていた私がそうだったんだから、中にいた学生たちは、もっと苦しかったはずだ。
そしてそれが、バスという形になったとき。
私は寒いからではなくて、純粋に震えた。こころが、震えた。

道が通行止めになり、数十時間もバスに缶詰になった学生たちもいた。
おカネは、まだ完済できていない(らしい)。
頑張りすぎて、燃えカスみたいになってしまった学生もいる。
いろんな事情があって、まだ傷ついたままの学生もいる。
本当にやってよかったのか、そういう声も正直ある。

でも、私はやってよかったと思っている。

それは、全国からバスを走り出し終えた後の学生たちの表情を見ればわかる。

全員とは言わないけれど、私の周りにいる学生の多くが、バスを出すことでものすごく成長した。もともと私の3倍くらいポテンシャルのある子たちばかりだったけど、もはや敵わないなってくらい成長した。
そしてその子その子なりに、新しいステージに進んでいる。地元で繰り返し防災教育に取り組む学生。災害が発生した時に、率先してボランティアに行く学生、地方や一次産業の活性化に身を投じる学生。
形はそれぞれだし、結果的に、東北や震災とは別の道行った学生も多数いる。
でも、私はそれでいいと思っている。その子がその子なりに、きっかけバスを通して自分と向き合って、結果、一歩が踏み出せたらいいと思っている。きっかけバスは、ほんとうに「きっかけ」であればいいと思っている。

そういう意味で、私は本部が理想とする支援者ではないのかもしれない。
きっかけバスには「復興・防災」と「学生教育」の2軸があると思っていて、私のメッセージは、去年からずっと後者だった。
人はできるだけ早い時期に、自分の深い部分と、辛くてもいいから向き合わなければ本当の幸せには巡り会えないと思っている。
私は、きっかけバスにその役割を期待していた。「教育」という言葉はあまり好きじゃない。何しろ、人として深みを増して、己を知るきっかけにしてほしかった。

そして、いろいろ危ぶまれたけれど、今年もきっかけバスの第2弾が走れることになった。
2014年10月11日~13日、東京に約30人の運営メンバー・新リーダーが集まった。

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第2弾の学生たちは、さすが2回目らしく、1弾よりも状況を把握して冷静にこの研修に挑んだ。
本当にどの学生も賢くて、自分で考える力を持っていって、素晴らしいと思った。
最初は「空いている時間に仕事をしながら立ち会おう」と思っていたが、結局仕事は一切しなかった。
ほんの些細な自己紹介でさえ、情熱が込められていて、示唆に富んでいて、とても”ながら”で聞く感じではなかった。面白くて、ぐいぐい引き込まれた。

その中で、前回のバスに乗って、今回はリーダーとして立候補したある学生が言った。

『私はきっかけバスに恋をしました。』

……ああ、やっはり。私たちは間違っていなかったんだよ。
前回のリーダーたち、そしてきっかけバスを支援したすべての大人たちに伝えたかった。大声で。

その他にも、前回の参加者で今回はリーダーを希望する学生が半数ぐらいいた。
本当に嬉しかった。みんなひとりひとりにお礼を言って回りたかったくらいだ。参加者にも、前リーダーにも。
前リーダーたちが本気でこのバスに取り組んだから、こうやってバトンは引き継がれていく。

私ときっかけバスの関係は、昨年とは少し違うものになると思う。
一番大きいのは、本部が移転してしまたこと。会社の隣駅だったから毎晩でも通えた。今はそういうわけにもいかない。

それに、昨年とは目指すべきゴールも若干違っている。
そしてそのゴールを、今一生懸命みんなで明確にしようとしている。
私は、そしてほかの支援者たちにも言いたいのだけれど、できるだけ彼らを見守ってほしいと思う。
そして必要な時に、そっと手を差し伸べてほしい。

私は、きっかけバスの「保健室の先生」でありたいと思う。
普段はいかないけれど、ちょっと休憩したいときや、ちょっと話をしたいときに立ち寄る部屋。
そういうふうに使ってほしい。私は、いつだって学生たちの味方でありたい。だってみんな、本当に素晴らしい学生たちだから。

もちろん、希望があれば今回も広報としてサポートする。
何でも言ってほしい。

ただし、きっかけバスの広報は喜んでしても、団体の広報活動はもうしないと思う。というか、できない。
私にはどうしても許せないことがあって、もう、彼が代表でない団体のために筆は執れない。いつまでも子供でごめん。
それに、実際に団体は、もう私にプレスリリース作成を依頼してこないし。

せっかくいい話だったのに、話が脱線してしまった。
とにかく私は、今年も全身全霊を持ってきっかけバスを応援していく。

きっかけバスによって「きっかけ」を与えられたのは、学生だけじゃない。

広報戦略の立案。リリースの作成。プロボノにもかかわらず、広告換算で3億円以上の露出を獲得。
その私の実績は、大いに私の自信になった。今後、生きていける、と思わせてくれた。自分の足で。
そして、東北がますます好きになった。全国に大切な仲間たちがたくさんできた。日本中が”ご近所”になった。

このブログのタイトルであり、私の今後のプロジェクト名になっていく「GO-KINJO」は、実はきっかけバスが一つのきっかけになってできた言葉だ。

今年の初夏、西の方で大雨があった。広島より前だ。もう地域は忘れてしまったが、九州か中国地方だった。
その時、その地域のリーダーのことが無事か気になって、なんどもニュースで災害情報をチェックした。
その他にも、大学生が巻き込まれた事件が起きたら、気が気じゃなくて名前をチェックするし、災害が起きたらリーダーのSNSはチェックするようになった。

それでふと思った。私にとって47都道府県は、以前よりずっと距離が近くなったんだなって。
なんだか、日本中に知り合いがいるって、日本中のすべてを愛せるみたいで素敵だなって。心の距離が近くなれば、縁がなかった土地も自分の庭のような気分になるんだなって。
そう思ったら、ふと、「ご近所」という言葉が出てきた。
その後、「東北食べる通信」の理念や一関の「近助(きんじょ)」の教えなどから、私は「GO-KINJO」をプロジェクト名にした。

そんなわけで、私は今年も、全身全霊できっかけバスを応援する。
「きっかけバス」にきっかけをもらったのは、ほかならぬ「私」なのだから。

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