【全文メモ】ウイグル強制収容所から奇跡の生還~オムルベク・アリさんが語る~

「バラエティよりニュースが面白い」という親のもとで育ったせいか、子供の頃から、世界のどこかで起きている、紛争や、民族差別や、公害問題、災害、そんなことに関心が行きがちだ。「世界報道写真展」は毎年見に行くようにしているし、その他のジャーナリストの展示や、講演会、関心があるものはできるだけ行くようにしている。日本で普通に暮らしていると、すごく丁寧にフィルタリングされた「やさしいニュース」しか入ってこない。

そんな中で、ウイグルの強制収容所のニュースは春くらいからなんとなく聞くようになった。でも、自分も独立直後だったりで、あまりリサーチできていなかった。
そんな時、私はある動画を見て、これはもう、ちゃんと知らなければ行けないと思った。

この動画を見た時、かなり衝撃を受けたのと、一方で、「これが本当なのか」を判断できない自分に対する憤りだった。
圧倒的に、本件に関してインプットが足りなさすぎる。

そんなとき、明治大学現代中国研究所と、アムネスティ・インターナショナル日本による講演会が開催されることを知った。

【東京】ウイグル強制収容所から奇跡の生還~オムルベク・アリさんが語る~

当日、予想に反して、300人以上はいただろうか、超満員で、報道機関も来ていた。
内容は衝撃的で、とても21世紀の今起きていることとは思えない(思いたくない)けど、これが事実なのだということを痛感した。

でも、知ってなにができるのだろう。
「応援しているよ!」なんて、無関心よりはマシかも知れないけれど平和だから言えることで、アクションに起こさなければ、何も変わらない。
今も誰かが、不条理な仕打ちを受けて、命を落としているかもしれない。

正直、こういった活動に関わることに対するリスクもあると理解している。
でも、自分になにができるのかを問わずにはいられない。

講演の最後に、いくつかヒントになる言葉があった。
それは、「文字の力」だ。

今回のスピーカーの一人、オムルベク・アリさんは、メディアのチカラもあって強制収容所から開放されたという。
そして、中国は「文字で情報が残ること」を恐れ、学者や研究者、文学者、ジャーナリストなどを弾圧しているらしい。

私にできることは、自分の信念をかけて、この情報を一人でも多くの人に届けることだと思う。それがいつか、大きな力になると信じている。

そして、私自身も力をつける。
こんな不条理を許さないために。

以下、「ウイグル強制収容所から奇跡の生還~オムルベク・アリさんが語る~」の全文メモになります。
Facebookですでにシェアしているものの誤字脱字をチェックした以外は同じです。
正直、聞きながら取ったメモですので、意訳が過ぎているところや、聞き誤った箇所もあると思います。
でも、大筋では間違っていないと思います。

個人的に、ワイワイしたニュースはすぐに広まるのに、こういった、本来向き合わなければいけないニュースが広まらないことに、強い失望を感じています。
これを読んだあなたに、もし想いがあったら、ぜひ、ウイグルについてアクションをしてみてください。
私も、できることを模索していきます。

=「ウイグル強制収容所から奇跡の生還~オムルベク・アリさんが語る~」全文メモ=

■講演一部 今、何が起きているのか(明治大学兼任講師 水谷尚子さん)
21世紀最悪の強制収容。収容所がウイグル各地で出来ている。ウイグル人をはじめとする、カザフ人、ウズベク人などが収容されている。ウイグル自治区に複数できている。2016年暮れくらいに、初めてその存在が日本にも伝わってきた。当初は「イスラムの過激思想を持つ人間の収容所」と中国側は説明していたが、すぐにそうではないと分かってきた。この流れが加速したのは、チベット人による抗議の焼身自殺のきっかけになった人物がウイグルの統治担当になってから、収容所も増えた。
ウイグル人はパスポートも没収されているし、国外に住むウイグル人は帰国命令が出ている。逃げも出来ないし、助けにも行けない。しかも、国によっては、中国に従って強制退去させている。
大学の学長、研究者、教育者、芸術家、作家、、、ことごとく収容され、ジェノサイドが行われている。ウイグル人だけではなく、一部、漢人で現状に反対している人たちも拘束されている。中国人はひどい、という話ではなく、中国国内でNOをいう人もいる。

■講演二部 オムルベク・アリさん
トルファン生まれ、カザフ人とウイグル人のハーフ。成人後カザフスタンへ移住し、カザフスタン国籍を取得。13年暮らして商売をしていた。最後の3年はカザフスタンでも有名な会社で副社長。その後、1日だけトルファンの実家に行ったところ、その翌日に突然武装警察が現れて手足を縛られ強制連行された。まず3時間かけて身体検査、その後4日間、鉄の椅子に鎖で縛られ尋問を受けた。当局は「国家分裂を図ったという罪、テロ価値道を計画したという罪、テロリストを養護した」この3つの罪を認めるようにと拷問を受けた。
自分がカザフスタン人であることを伝え、弁護士を呼ぶ権利があること、カザフスタン大使館に連絡を取りたいこと、家族に状況を伝えたいことを主張したが、全て聞き入れられなかった。
その後3ヶ月間、椅子からは放たれたが、鎖で手足を縛られた状態で強制収容所で過ごした。
中国当局は強制収容所を「言葉を勉強し職能を得る施設」と言っているが、それなら自分のような外国人が囚われるわけもないし、多くの知識階級がいるわけがない。

21世紀の今、中国はウイグル人や周辺地域の住人に対して手足を縛り、食事のときには共産党への感謝、習近平への感謝、国家への感謝を述べないと食事ももらえない。
これに抵抗したり、国歌をうたえなかったりすると、壁に向かって立たされ24時間縛られたり、虎の椅子という椅子に24時間縛り付けられたり、真っ暗な部屋に24時間閉じ込められたりする。最終的にはアイデンティティを否定し、「自分は共産党のおかげで活かされている」と認めないと、開放されない。
または真夏に真っ裸で屋外に立たせられる、真冬に真っ裸で水をかけ続けれるなどの拷問もある。
それでも共産党を認めないと、天井から吊され、徐々に水の中に落とされていく。そうなると、生きた状態で外に出る事はできない。

アリさんが生還できたのは、カザフスタンの外務省が働きかけた。また、現地の人権活動団体の努力により、8ヶ月拘束された後、2017年暮れに強制収容所を出ることが出来た。
しかし、アリさんのお父さんも後に収容されて80歳で強制収容所で亡くなった。その他、親族13名が収容されている。
「100万人の収容者がいる」と言われているが、実際にはその何倍もの人が収容されていると思われる。
この状況を世界に伝えて、今も囚われている人たちを助けてほしい。
動物の権利ですら主張されているこの時代に、なぜ手足を縛られ思想の自由もない暮らしが許されるだろうか。

■第二部 質疑応答
Q.自分以外に何人が強制収容所から出ることが出来たか。
A.自分が知っている限り、カザフ国籍の人が約20名。

Q.その中で、アリさんのように証言活動をしている人はいますか?
A.自分が知っている限り5名が活動している。一人は収容所で働いていた人、あとは収容された人。

Q.収容所にいるウイグル人以外の人種
A.カザフ人、ウズベク人、タタール人など、イスラム教を信仰する人々

Q.なぜ中国は「職業訓練施設だ」と言いはるのか。
A.中国は一貫して「そんな施設はない」と言い張っていたが、徐々に証拠が出てきたため、「それは職業訓練施設だ」と言い張るようになった。

Q.遺体はどうなっているのか
A.処分したのか、わからない。亡くなる理由は、精神的なダメージ、身体的なダメージ、さまざま。

Q.もう少し詳細な生活状況をお知らせください
A.普段は12平米の部屋に40人〜50名が押し込められている。みんな手足を縛られている。寝るときは別の場所に出されるが、半分が寝て、半分が見張りをするという生活を繰り返す。朝は3時か3時半に起こされて、布団をたたみ、早朝に国歌を歌ったり政策を学ぶ時間。7時から中国国旗をあげる時間、7時半から食事(具のない中華まん一個とお粥か野菜スープ)、8時から洗脳教育。食事は1日3回あるが、常に中国への感謝や共産党への感謝を唱えないと食事を取らせてもらえない。イスラム教徒に無理やり豚肉を食べさせて、拒絶すると拷問されるようなこともあった。夕食後には、「自分を否定するか他人を否定するか」の授業が24時まで続く。「自分がウイグル人であることが悪かった。当局のおかげで活かされている」ということを自分に言い聞かせたり、他人に言ったりしなければいけない。24時に就寝で、3時か3時半に起こされる。当局に従うか、拷問されるかの生活。
当時115キロあったが、8ヶ月で60キロまで体重が落ちていた。今では体重も戻ってきたが、精神的なダメージは回復しない。
体調を崩してもい者には連れて行ってもらえない。むしろ、定期的に謎の薬を飲まされては、下痢や意識を失うなどした。

■講演三部 ヌーリ・ティップさん
1990年に学生として日本に来て、9年日本にいて、北京で就職。その後アメリカに亡命した。お兄さんも東京理科大学で学び、新疆大学の学長になり、2017年に「国歌分裂主義者」ということで強制収容。死刑判決(執行猶予2年)を受けた。その後、本人はおろか、妻、娘含め消息不明。

北京で働いていたティップさんが異変を感じたのは、普通に北京から日本に行こうとしたときに、空港でパスポートの写真が本人と違うと言われ、3時間拘束された。その時は日本に行けたが、親類から「早いところ中国から出たほうがいい」と言われた。そこで準備を進め、99年にアメリカに亡命が出来た。
家族に亡命者が出ると、家族に被害が行く。また、亡命者側も、自分の居場所が割れてしまう可能性がある。連絡を取るのはリスクということで、家族は疎遠になっていった。電話もメールも一切なし。その後、2001年にお兄さんが学会の関係でアメリカに来た。その時「出来たら会おう」と連絡が来た。そこで、密かに会った。それが最後となった。
お兄さんはその後、北京で拘束。最初はホテルのような場所に監禁された。その時点では、ここまで酷いことになるとは思わなかった。その後どこかに移された。お兄さんの家族も含めて、いまどこでどんな生活をしているのか全くわからない。

■全体を通しての質疑応答
Q.アリさんが開放されたときにカザフスタン政府は何をしたのか
A.自分が連れて行かれた後に、奥さんが国連に手紙を送った。また、メディアに対して働きかけた。現地の家族がウルムチにあるカザフスタンの大使館に訴えた。その後、外務省が動いた。中国は強制収容の真実が漏れることを一番恐れている。メディアのチカラが大きいと思う。

Q.未だに見の危険を感じることはあるのか
A.アリさん、常に危険を感じている。カザフスタンに戻った後トルコに移住した。それはカザフスタンでも中国の影があったからだし、トルコでも尾行されているような時がある。
ティップさん、自分も危険を感じている。最近になって、ワシントンの中国大使館の電話番号で、奥さんの携帯に電話が来るようになったが出ていない。

Q.中国は何故そんなことをするのか
A.アリさん、中国は2025年までの国家発展の目標があり、それを実現させるためには東トルキスタンの土地が必要と試算されている。そのため、東トルキスタンの人を浄化する必要がある。次に、外国に住んでいる東トルキスタン人に対して精神的に抵抗をさせないために、圧力を加えている。
A. ティップさん、同じく、ウイグルの土地を狙っていると思う。そこに住む人や思想は不要なので排除している。排除し終わったら、「ここはうちの土地ですよ」と名乗ってしまえばいい。知識階級から処分しているのは、歴史をすり替えてしまうため。
A.水谷さん、実は中国で入国拒否をされている。飛行機で北京に着いたら飛行機にスタッフが入ってきて一人だけ降ろされ、尋問され、そのまま日本行きの便に乗せられた。中国はものを書く人間を恐れている。ジャーナリストや学者は軒並み活動を阻害されている。

Q.日本に何を望みますか
A.アリさん、如何に強い国であっても、そこが独裁国家で人を弾圧で統治することは許されないし、いつか正義の名のもとに倒される。自分は中国からしたら1匹の蟻以下かもしれないが、それでも命をかけてこの惨状を発信し続けます。そうしてみなさんがこの話を聞き、声が広がっていけば、いつか正義の名のもとに、この悲劇が終わると信じています。
A.水谷さん、多くのウイグルの友人達が捕らえられたり、息を潜めて生きている。許せない。だから状況を発信する活動をしている。そして自分には漢人の友人たちもいる。彼らには内側から中国を変える働きかけをしている。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です