なぜフラメンコをはじめたのか。

すでに何度かFBには投稿しているが、年明けからフラメンコを始めました。
すっごく唐突に見えたかもしれませんが、実は、子供のころから踊ることは大好きでした。上手いか下手かは別です。とにかく、何かを表現することは、絵でも文章でも歌でも創作ダンスでも、大好きだった。日ごろは引っ込み思案な子供でしたが、学校の朗読会とか、合唱コンクールとか、そういうときだけ積極的に活動する子でした。恐らく、本当は子供のころから活発な性質だったのに、日常生活でそういう自分をうまく発揮できずにいたので、場を与えられたら大義名分ができるというか、手が上げやすかったんだと思います。何しろものすごく運動音痴ですが、創作ダンスの時間は好きだった。

で、高校生の頃からフラメンコに興味があって、大学生の時に初めて見に行って感動し、そのあとずっと、習うタイミングを見計らっていました。

数年前、やはり12月末に「来年は何か新しいことを始めたい」と思ったとき、バイオリンとフラメンコが頭をよぎりました。その時私はクラシックに傾倒していて、ベートーヴェンの「ヴァイオリンソナタ第9番クロイツェル」とバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」のシャコンヌが大好きだった私はヴァイオリンを選んで、2年ほど習ったけど、当時は会社の後に習い事をする余裕もなく、あまり上達せずに引っ越しに伴ってやめてしまった。

で、今年は二者択一で捨ててしまったフラメンコに挑むわけです。

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では、なぜ今だったのか。
実はここにも「東北」が密接に関わります。

FB等を読んでいて薄々気づいている方も多いと思いますが、現在私は、働き方も、住む場所も、すべてをどう構築していくか模索している最中です。

もっというと、実は昨年10月の時点で独立と東北への移住を決意し、関係各所にはその旨を伝えていました。
しかし、具体的に独立・移住の準備をすると、東京の良さも改めて実感します。
特に自分のことを精神的に追い詰めたのが、勝どきの家を手放すことでした。
勝どきは、これからオリンピックに向けて様変わりしていくといわれています。
私のマンションは川に面して建っていて、川の向こうは晴海の島です。オリンピックの選手村になるといわれています。私の家から、選手村が見えるのです。(厳密に言うと、私のマンションは再開発の一環で2020年初頭に解体されますので工事中の選手村しか見れないでしょうが・笑)

田舎が嫌で学問にはげんで、海がない県で育ったので海にあこがれて、所沢⇒池袋⇒勝どき、と徐々に海に近づいて、やっとここまで来たのに、この家を手放す。それは、自分でもビックリするくらい精神的に私を追い詰めました。誤解しないで頂きたいのですが、決して地方での生活が嫌だったわけではないのです。2020年に向けて変わっていく勝どきから離れるのはもったいないと感じたのです。

そうこうしているときに、「東京で他に何かやり残していることはないか」と思いました。
で、挙がってきたのが「フラメンコ」でした。もちろん東北にもフラメンコの教室はあると思いますが、東京のようにあれこれ選べて、、、というのは難しいと思いました。

私は基本的に、頭によぎったことはすぐに行動に移すタイプです。
多少無理がある計画でも、困難が予想されても、後悔してもいいから、実行するタイプです。

これは、私の元々の性格でもありますし、若いころに家庭を無くした経験から来ているものだと思っています。

将来のことを考えて、あれこれ計画して、貯金して、節約して、、、でも、ある事情で、一瞬で計画は崩壊しました。そして私は1人で再出発をしました。

その時痛感しました。
「いつか」なんて来ないし、「いつか」なんて思っているうちは大した欲求じゃない。
逆に、やりたいと思うことがあったら、今すぐ一歩を踏み出すべきだ、と。

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今回、自分が真剣に自分の生き方や暮らし方を見直すことで、私はフラメンコを始めることができました。
まだ3回しか行っていませんが、ヴァイオリンの時以上に毎回楽しくて、早く人に見せられるような踊り手になりたいと思います。

そしたらいつか、いろんな仕事のひとつとして、東北で踊りを教えてもいいですね。
東北でやりたいことがたくさんあります。恐らく将来的に、私は何か一つのことを食いぶちにするのではなく、いくつかのプロジェクトを並行して行いながら生計を立てるようになると思います。その一つとして踊りがあったら、人生に新しい花が添えられていいかもしれません。

そうなれるように頑張ろうと思います。

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