東海七福神めぐり

今年の三が日はきものを着る機会がなくて、なんだかうずうずしていた元呉服屋のエイミーです。

で、何としてでも成人式の三連休はきものを着ようと計画的に考えていました。
行先も大方決まっていて、品川~大森界隈にある「東海七福神」をまわって朱印を頂こうと考えていました!

■「東海七福神」とは
品川から大森まで、旧東海道沿いに建てられた神社仏閣のうち、「恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋」を祭る7つの神社仏閣を巡り、色紙に朱印を押してもらう習わしです。東海七福神の場合、各神様と神社仏閣の組み合わせは下記になります。

大黒天…品川神社
布袋…養願寺
寿老人…一心寺
恵比須…荏原神社
毘沙門天…品川寺(ほんせんじ)
福禄寿…天祖諏訪神社
弁財天…磐井神社

全長5キロ、約2時間の道のりでした(品川駅から歩くと6キロくらい)

余談ですが、七福神めぐりって都内だけでもかなりの数があるんですね!
「東京の七福神めぐり」というサイトを見つけましたが、少なくとも32個はあるそうです。毎年行っても32年かかります!!

■大黒天(品川神社)
IMG_6226

最寄り駅は京急線の「新馬場」ですが、私は品川で用事があったので、その足で駅からてくてく。
箱根駅伝マニアとしては、なかなか楽しい道でした(笑)
途中、品川女学園の前でこんな案内も発見。
ワクワクが増してきます!

 

 

IMG_6227

IMG_6229 IMG_6232

最初の品川神社は第一京浜沿いに立っているためとてもわかりやすいです。人が一番多かったのもここだったと思います。

大きな大黒様が鎮座しています。ここでお参りをして、おめぐりのための色紙を入手(色紙代1000円)

■布袋(養願寺)
品川神社を出ると、第一京浜を横断。途端に「商店街」の風貌です。
実は、つい最近まで品川が宿場町であったことも、下町っぽい雰囲気が残されていることも知りませんでした。
新鮮な気持ちで散策します。

布袋様がいる養願寺は、そんな商店街から、さらにクルマも入れないような細い路地を入ったところに唐突にありました。
一瞬、どこに布袋様がいるかわかりませんでしたが、、、いました。かなり小ぶりです(笑)
しかも、写真じゃわかりませんが、かなり激しい顔をしていました(笑)

IMG_6235 IMG_6236

■寿老人(一心寺)

IMG_6237

 

養願寺から徒歩1分ほどで次の一心寺。
外観の雰囲気が一番好きだったのがこのお寺ですが、中身は本当にこじんまりされています。それはそれで、秘密のお庭みたいで素敵でした。

 

 

■恵比須(荏原神社)

そして、旧東海道沿いをてくてく歩いて、次の荏原神社へ。ここは目黒川沿いに経った神社で、やはり雰囲気の良い場所でした。赤い欄干が美しい。恵比寿様がいたらしいのですが、なぜか私は気づきませんでした。商売大丈夫でしょうか(汗)
IMG_6240 IMG_6242 IMG_6244

■毘沙門天(品川寺)

IMG_6245 IMG_6246このあたりから一個一個の間隔があいてきます。
駅で言うと「青物横丁」のあたりです。
宿場町であった名残が道の至る所にあります。弥次さん喜多さんもここを歩いたのでしょうか?

 

毘沙門様を祭る品川寺は「ほんせんじ」と読むそうです。最初の神社が「品川神社」だったのでごっちゃになりそうですね。
毘沙門様と思しき方もいました。

IMG_6248 IMG_6249

IMG_6251

 

ちなみに品川寺には「東海七福神」とは別に「金生(かのう)七福神」という品川寺だけの七福神もいます。ここも、なかなか味のある雰囲気でした。

 

 

■福禄寿(天祖諏訪神社)
さて、道はいよいよ鮫洲周辺へ。「鮫洲商店街」の旗が、どう見ても「ナマズ」だと思うのは私だけでしょうか?(笑)

IMG_6252

で、調べてみました。
この子は「鮫洲のジンベイくん」というそうです(やっぱりサメでした・笑)

下記、鮫洲商店街のHPより抜粋。

「鮫洲」の地名の由来は諸説ありますが、鎌倉時代、品川沖で大鮫が死んで浮いているのを漁夫が見つけ、この鮫の腹を割いてみると、聖観音の木像が出現。この聖観音は鮫洲観音と呼ばれ「鮫洲」の地名になったといわれています。この観音像は海晏寺の本尊として奉られています。

これはいわゆるピノ○オというやつですかね?(笑)

 

なかなか愛嬌のあるジンベイくんに見守られながら、6つ目の天祖諏訪神社へ。福禄寿と寿老人の区別がつかないのは私だけかと思ったら、そういう書き込みが結構ネットにありました。元々同じ神様と言われているそうです(爆)

Yahoo!知恵袋
福禄寿と寿老人は同一神なのですか?

IMG_6253 IMG_6255 IMG_6254
この福禄寿様の頭をなでるといいことがあるそうです。
私の前に並んでいた4歳くらいの男の子が「こわい~、ごわいよぉぉぉ!!! わあああぁぁぁ!!」ってガン泣きしていました(笑)

■弁財天(磐井神社)

いよいよ最後の磐井神社を目指します。ここが一番長くて、25分くらい歩きました。旧東海道から第一京浜に合流したら、目の前はもう大森海岸の駅です。

道の合流地点には「鈴ヶ森刑場遺跡」がありました。
220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われているそうですが、はっきりした記録は残されていないとのこと。当たり前の話ですが、東京にもこういう場所があるんですね。

 

IMG_6261

第一京浜に出て、大森海岸駅や大森駅も越えたあたりに、最後の神社、磐井神社があります。

さすがにここまで歩くと鼻緒が痛くなってきました。何とかギリギリのゴールといった感じです。神社自体はシンプルでしたが、すでに暗くなってきていたというのに参拝客も数名いました。

 

 

東海七福神めぐり、御朱印完成!!

IMG_6265 IMG_6262

結構感慨深かったです。
学びながら歩くことができたし、非常に良い初詣となりました。

実は今年は後厄なんですが、特に何もしていません。
神様と仏様は大事にしていますが、厄年だからって特段お布施を積むのは、私の信条とは合わないからです。
それに、昨年本厄でしたが何もしなくてもいい年だったので、恐らく今年もいい年になると思います(笑)

■後日談
さて、歩いている最中からずっと不思議だったのですが、同じ「七福神」なのに、「神社」と「寺」が混在しています。他の七福神めぐりも、混在していたり、寺か神社で統一されたり、まちまちのようでした。

で、調べたところ、日本には「神仏習合」といって、神様も、中国(インド)から伝来した仏様も、みんな一緒にお祀りしましょうね、といった時代が平安時代から進んだようです。よく「神宮寺」って言いますが、まさに、神道とお寺なわけですね。私の浅い知識なので認識の誤りがあるかもしれませんが、元々神道の国で、仏教が勢力を持ってきちゃったので、神社の中に、仏教の仏様も取り込もうとしたのが、この「神仏習合」のようです(違ったら教えてください・汗)

で、長い間これできたのですが、江戸時代に入り、国学者が台頭してくると、日本古来の宗教を復活させようという動きが出てきます。
で、「神仏分離」といって、全く逆の動きが出てきます。この時に各神社仏閣は、自分たちを「神社」なのか「寺」なのか再定義する必要が出てきたわけです。

とはいえ、もうかなり長い間祀っているものを変えるわけにもいきません。
名前は変えて、恐らくしきたりも変えたものの、神社の中に取り込まれた仏教の神様はそのまま祀られ、場所によって神社になったりお寺になったりするようです。

非常に勉強になりました!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です