しあわせを、しあわせと言える社会にしたい。
誰にだって、ひとつやふたつ、もやもやした過去の記憶があると思う。
私にもある。けっこうたくさん。
今から、もう15年くらい前。
私には、当時TOYOTAのクラウンを日本一売っている営業マンの友人がいた。
当時自分は大学生で、彼は30代なかば。彼の奥さんとも仲が良くて、あるとき3人で夕飯を食べに行った。
日本一クラウンを売る人の年収なんて想像もつかないけど、当時の二人は夫婦ふたりの家庭で、かなり裕福だったと思う。
なので、連れて行ってくれたお店も、地元で有名な焼き肉のお店だった。
年の離れた友人なので、オーダーも全部彼らに任せていた。
旦那さんが、慣れた感じであれこれオーダーして宴が始まる。
で、ちょっと良いお肉を食べようといういう話になったとき、それまで旦那さんが普通に注文していたのに、奥さんが店員さんを呼び寄せ、小声で、良いお肉を頼み始めた。
私は、どうして突然小声になったかわからなくてキョトンとしていた。
奥さんがその様子を察して教えてくれた。
「私たちだけ良いお肉をドンドン注文していると、回りのお客さんに申し訳ないから。」
このやり取りを読んで、何かを感じる人もいれば感じない人もいると思うし、感じたとしても、いろんな捉え方があると思う。でも私は、15年経っても、もやもやを抱えている。
■しあわせを認めることは、多様性を認めること。自分を認めること。
これに限らず、人は、自分の幸せをあまり表面に晒さない。
それは不謹慎で、生意気で、申し訳ないこと、みたいに捉える人が多い。
また、実際にそういう表現をすると後ろ指刺されることも多い。
「なにあいつ気取ってるの?」「ちょっと成功したからって。」
「どうせすぐに失敗する」
世界はまるで、BUMP OF CHICKENの「グングニル」だ。
「願わくば高波よ、悪魔となれ。」
でもそれは、自分に何か不満があるからだし、一番問題なのは、
「あなたと私は別のもの」
と、考えられないことなんだと思う。
上カルビをバンバン頼める人と、わたし。
ブランド物のバックを振りかざせる人と、わたし。
家族に囲まれ愛に満ちている人と、わたし。
その間にははっきり境界線があって、目指すものも、幸せの形も違う。時期の違いってのもある。
本来、人は自分の幸せを追求すればいい。
それが、自分と他人がそもそも全く違うもので、みんな一律に同じような幸せを追いかけなくていいのに、この国では「標準的」みたいなものが愛されていて、そこから逸脱すると、人は呪いの言葉をささやきはじめる。
それで幸せなんだろうか。
私はそうは思わない。
あと、幸せな人が幸せを隠したら、子どもたちは社会に夢なんか見いだせないと思うのです。
「いっぱい仕事したから焼き肉は上カルビだ!」
「いま、この人と居られるだけで世界が夢のように美しい!」
「自分へのご褒美に、世界一周旅行にでます。なんなら月にも行っちゃいます!」
そう高らかに叫ぶ大人がいるから、子どもたちは、社会に夢を見るんじゃないだろうか。
若い世代は、チャレンジできるんじゃないだろうか。
我々が高らかに幸せを表現することで、幸せな社会が作られるのではないだろうか。
■しあわせを、しあわせと言える社会にしたい。
先日、人生2台目の自動車を納車しました。真っ赤なフェアレディZです。事業が順調なので、自分へのご褒美と、今後も頑張ろうという決意を込めて買いました。
ビジネスが順調で、中央区に住んで、港区で仕事して、赤いスポーツカーを乗り回す30代独身女性の姿は、もしかしたら人によっては「最近調子乗っている人」感を抱いているかもしれない。というか、面と向かって言われることもある。
でも、その裏側で、自分が十数年かけてビジネスマンとして頑張ってきたこと、並々ならぬ努力をしてきた自信はある。泣いて過ごす夜が何日あると思っているんだ。握りしめた手のひらに爪の跡が残ることが何度あると思っているんだ。
だから私を「ただの生意気な人」と断罪する人がいたら、もうそれはそれでお好きにどうぞ、と思う。
明日、どうなっているかなんてわからない。
もしかしたら死んでいるかもしれないって、いつも思っている。
だから今、幸せだって言いたい。
明日、事業が失敗しているかもしれない。
もしそうしたらバイトで食いつなごうって思っているし、
そこでもう一度巻き返せたら、すごい絵が描ける。
破産することもあるでしょ。愛する人を失うこともあるでしょ。
こんな私でも、幸せでなくなることもあるでしょう。
その時は、誰かの幸せを見て、後ろ指差すのではなく、「幸せを分けてもらいました」「元気になりました」と言える人間でいたい。
それが、本当に自分を尊重し、自分と向き合っていて、人のことも大切にできる人間のスタンスだと思う。
私は、しあわせを、しあわせと言える社会を作りたい。
だから今日も、幸せだと言いたい。
コメント
いつも楽しく拝見しています!
しあわせをしあわせといえる社会にしたい、まったく同感です!
元々自分もそうではなかったと感じるところがあるので、残りの人生いろんなことをしながら幸せと思える時間を多くしたいー!
コメントありがとうございます!嬉しいです!
私自身、非常にネガティブで、やっかみ屋でした。それじゃ何も変わらないなと、年月を重ねて気づきはじめました。
そんな一人ひとりの気付きが世界を作るんだって、感じていただけたら嬉しいです^^