「変わること」を諦める。
独立して、もうすぐ半年が過ぎる。
点数をつけるのも変な話だが、誰がどう見ても、85点以上は付けてくれると思う。
90点も狙える。
日々の仕事に恵まれ、好きな場所に行き、好きなものを食べ、ほろ酔いで床につく。
これ以上の幸せがあるだろうか。
一方で、不安というか、味わったことのない不思議な感覚に陥る時もある。
たとえば、毎月定額の収入があるわけではない。
今は、サラリーマンだった頃よりも何倍も稼がせてもらっている。
でも、その中でも月によって変動があるし、もしかしたら数ヶ月後にはサラリーマン時代を下回っているかもしれない。
保証があるわけでもない。
今は健康だからいいけれど、数ヶ月後には大病をしているかもしれない。
そうなると、代わりはいない。
それが不安かというと、そうでもない。
スポーツと一緒だ。
今は調子いいから、もう少し追い込もう。
今日はイマイチだから、休ませよう。
そう考えると、いつも一定のパフォーマンスを上げることも無理な話だし、一定でもないのに一定の報酬をもらい続けるのも変な話だと思う。サラリーマンのことだ。
最低限の生活は保証されているのかもしれない。
そういう安全さが重要と考える人もいるだろう。
でも、頑張っても短期で報酬が上がるわけでもないし、
今はインプットに当てたいとか、ちょっと休息したい、と思っても融通がきかない。
これっておかしくないか?
人は常に変化するのに。
最初に言った通り、今自分はうまくいってる。
でも、同じ明日が来る保証はない。
うまくいっていると思っていたお客さんから、突然解約の相談を受けることもある。
でも、そこに大して動揺していない。
正確には、しなくなった。
それは、「変化」を「異常値」ではなく、「正常値」として受け止めたからだ。
諦めでもなんでもなく、時間も場所もとらわれない生活の中で自分自身と向き合って、一定の環境を維持することがむしろ異常と気づいた。
だから、変化にも寛容になった。
そしたら、保証のない明日も、何も怖くなくなった。
最近、色々買い物をしている。
今まで欲しくても買えなかったもの。
いいベッドとか、服とか、ちょっとした家の中のものとか。
無駄遣いじゃない。買える時に買っておこうと思っただけ。
色々な場所にも行っている。
浮かれているわけじゃない。
行けるうちに行っておこうと思っただけ。
来年の今頃は、「あいつ、羽振り良かったのに、落ちぶれたな。」と言われているかもしれない。
そう思ったとき、人が恐れているのは「羽振りが悪くなること」ではなく、「羽振りが悪いと思われること」だと気づいた。
でも、それって、一定の基準を常に維持していなければならないという、ただの強迫観念だ。
調子がいい時はガンガン稼ごう。
ガンガン遊ぼう。
止まりたくなったら止まろう。
休もう。
無一文になったらまた稼ごう。
這い上がろう。
常に一定の状態を維持しようとするからキツくなるんだ。
今は仕事の話しかしてないけど、職業や人間関係にも言えること。
人は、変わり続ける。
それが普通だし、それに合わせて自分をデザインすればいい。
変わることを諦める。
認める。
それはつまり、自由なんだ。
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