明日に備えること、なんて出来ない。

福岡市内で起きた事件で、周囲が変わろうとしている。

「公開セミナーはしばらく出来ない」
「ネット上の発言を控えたい」
「どうしていいかわからないけど、とりあえず自衛手段を考えたい」

方法はそれぞれだけど、とにかく周囲が変わろうとしている。

でも、私は多分、変わらない。
何故か。

明日に備えることなんて出来ないと、とうの昔に悟っているからだ。

きっとみんな、それぞれ色んな経験をしてきたはずだから、
わざわざ私に言われなくても知っていると思う。

愛した夫が、突然精神の病気になることもある。
殴られるのも乱暴されるのも想定外だし、3年後にマンションを買おうと必死こいて貯めていたお金も、全部無意味だ。

付き合っていた人に1000万円の借金があると知ることもある。
よくわからないままに250万円分背負わされそうになった。

親族が突然自殺することもある。
しかもご丁寧に、人の受験日に。

もっというと、私はそもそも成人するまで生きていられる想定ではなかった。
毎週のように夜中に喘息の発作で病院に担ぎ込まれ、その度に「今夜こそ死ぬんだ」と思った。
先に死ぬ不幸を親に懺悔して、余計に親を困らせた。

なので、本当に気取っているわけでも、達観しているふうを装っているわけでもなく、
「明日も生きている」と、あまり思っていない。
「今日が最後の日」と、普通に考えている。

でも、なんだかんだ、今日も生きている。

まだ見ぬ未来は、来るか来ないか、来たとしても、それが何色なのか、皆目検討もつかない。
いくら明日に備えていても、そもそも今夜、想定外の災害や病気やどうでもいい不注意で、天に還っているかもしれない。
(余談だが、天に還ったら誰に会いたいかと思ったら、かのんちゃんだった。人じゃないんだ。)

ネットで炎上して、「テメーの家燃やすぞ!」とか、「アナタの遺伝子は日本のために残すべきじゃないdeath」と言われたのも、一度や二度じゃない。

でも、私は変わらない。

だったらなおのこと、精一杯この手を広げて世界をつかみ、この声を上げ、体を振るわし、踊る。
控えても、自粛しても、慎重になっても、どうせ思わぬ事が起きる。
だったら、今死んでもいいくらい、精一杯やるのが、私にはベターだと思える。

もちろん、これは人によっても、おそらく家族構成によっても変わってくる。
なので、あくまでこれは、私の意見。

そして最後に、ここではっきりさせておきたいことがある。

いつも、飛行機に乗る度に、伝えたいと思っていること。
昔はつどつど書いていたけど、最近は回数も増えちゃって、わざわざ書かなくなっていた。
でも、今回の事件で、改めて明確にしておこうと思った。

仮に、私が乗っている飛行機が墜落しても、
飛行機に限らず、乗っていたタクシーが事故るとか、バイクで転倒して崖から落ちるとか、
オトコに恨まれて刺されるとか、もっとどうでもいい通り魔的なものに狙われるとか、
事象は何でもいいんだけど、まあ、端的にいうと、

私が死んでも、
私は最後の瞬間まで幸せだった。

そう思ってください。

よくわかんない涙話や、噂話や、さぞ無念だろうとか、そんなことどうでもいいんで、

私は最後の瞬間まで幸せだった。

そう思ってください。

それが、今日を一生懸命生きている私の、プライドです。

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