「エイミーのいちのせキッチン ファイナル」を終えて思うこと。
久々のブログです。今後、もうちょっと更新頻度を増やしていきたい(って、前にも何度か書いた気がする…)。
さて、2017年7月29日、寄しくも肉の日、復興バーにて「エイミーのいちのせキッチン ファイナル」を開催しました。
例年準備がバタバタになるこの会ですが、例年にも増して私はプレッシャーから半うつ状態になり、仲間に引っ張られてやっとの開催。いつも本当にありがとうございます。
結果的に、約130名のみなさまにお越しいただいたそうです。個人的に、100名は超えたいと思っていました。なので、みなさまのおかげで私は本当に満たされた気分でいます。
当日のメニューとスケジュール。私が復興バーで一日女将をやるようになって4年目の今年。食べ物・飲み物は基本的に一関のもので構成。一関産じゃなかったものは、コラボレーションで登場していただいた赤坂見附・トレジオンが提供してくれた生ガキ・ホタテ・たこわさ(気仙沼と南三陸のもの)と、唐揚げに添えていたレモンくらいだと思います。
また、今年の特徴としては、一関で活躍している方や、首都圏から一関を応援している人、在京一関出身者のプレゼンを多く入れさせていただき、お客さんに「こんな人もいるんだよ!」というのを知っていただく、というのを意識的に行いました。
(当日ステキな発表をしてくださったみなさま、ありがとうございます!)
さて、今年のいちのせキッチンの様子は、Facebook等でたくさんアップされていますので割愛するとして、「何で今年がファイナルなのか」を、書き残しておこうと思います。いちのせキッチンの最後のあいさつでお話はしましたが、皆さんにお伝え出来たわけではないですし。ちなみに、よく言われたのが、「どこかに嫁ぐの?」と「海外行っちゃうの?」でしたが、残念ながらどちらでもありません。まだしばらく東京ですし、相変わらず独身貴族(正しくは独身庶民)です。
■そもそも、いちのせキッチンはこうやって生まれた
そもそも「エイミーのいちのせキッチン」は、石巻から始まった「復興バー」を、東北支援会の茂手木さんが銀座に持ってきて空き店舗で期間限定で開催したところから始まっています。特長はマスターが毎日変わる「日替わりマスター」という仕組み。日替わりマスターに立候補した人は、自分が大好きな東北の地域の食材を使ってお客様をおもてなしし、東北と東京を食でつなぐ、というステキな企画です。
そこに、当時私がお手伝いしていたNPO法人「助けあいジャパン」会長の石川淳哉さんが日替わりマスターとして参加していて、ちいママとして手伝ったときに一関の食材を使わせてもらった、というのが4年前のこと。
その翌年からは、石川さんから独立して、オール一関の食材を引っ提げて一日女将をやるようになったのが「エイミーのいちのせキッチン」の始まりです。
毎年十数名から多い年だと40名くらい(?)のマスターが活躍した復興バー。その中でも「エイミーのいちのせキッチン」の特長は、一関市役所の協力なバックアップがあって運営されているという点にあります。これはもう本当に、感謝しかありません。というか市役所のバックアップがなかったら、私たちだけではとてもじゃないけど運営できない。食材の協賛から、当日会場に駆けつけてのサポートまで、例年本当に感謝しています。
■できることをやらずに通り過ぎることは、私にはできない
毎年この時期になると、「今年もやるぞ!」という気持ちと、「もう無理、今年はできない。。。」という気持ちのぶつかりあいです。なぜか。好きだからです。好きだからこそ、十分に人を集められなかったり、十分におもてなしできなかったり、赤字になった時にことが怖くて、大体精神的に調子が悪くなる。でもそれは、誤解しないでください。嫌だからじゃないんです。好きだからです。
仕事もそこそこ忙しい。会社以外の仕事も持っている。それ以外の付き合いもあるし、勉強したいこともある。
でも、、、でも、、、!!!
せっかく「復興バー」という場所があって、女将をやって一関のことを伝える熱意があって、自分にはできるという確信もある。
なのに受けて立たないのは、思い出がいっぱい詰まって、大好きな人たちがたくさん暮らしている一関に対して不義理なんじゃないか。
東京で、大きな声で、一関のことを伝える。それが私の務めであり、最終的には喜びに代わる。だから私は、まずは手を挙げよう、手を挙げたら一歩踏み出そう、その一歩一歩を繰り返して、あとは仲間を信じよう。
■私が女将を引退する理由
そうやって4年(自分の名前でやるようになってからは3年)が経ち、今回で私は、この取り組みにひと段落つけます。
決して集客目的の引退詐欺ではなく、先のことは確約できませんが、基本的には「次回は白紙」と考えています。その理由は、モチベーションがなくなったわけでも、ほかの自治体の応援をするわけでもありません。
1. 私以上に一関について詳しいファンがたくさん生まれたし、目覚ましい活躍をする一関出身者にたくさん出会ったから。
2. 一度、冷静に自分の今後を考える時間をまとめて作りたかったから。
基本的には「1」が理由です。
私は、一番多いとして年間に5~6回一関に行った年がありました。市内で行われるイベントに参加したり、東京からツアーを企画して仲間を募って遊びに行ったり、移住体験をしたり。3年前には一関に移住して起業するつもりで準備も始めていました。結果的に「今は時期ではない」と考え直しましたが、当時、iPhoneのSUUMOアプリには一関の物件情報がたくさん入っていましたよ(笑)
しかし、最近は私の行動範囲も東北だけではなく、他の地域や海外に広がっています。そもそも私は、東日本大震災以前は海外旅行が年に一回の楽しみで、そのためにコツコツ貯金をしていました。震災後、東北以外の地域に行くことはほとんどなくなっていましたが、徐々にまた、海外に目が行くことも増え、自然と東北に行く機会が減ってしまいました。
そんな中、一関市のPR活動が成功していき、私以外にも一関市に通う人たちがたくさん出てきました。その中には、元々出身者で、改めて一関のために活動したいと思って、新しい取り組みをはじめたり、Uターンしたりする人もいました。私が知らない新しい商業施設ができたり、新しいスター生産者が生まれたりして、それについてみんなが当たり前のように話している。でもそれを私は知らない。もちろんすべてを把握することは不可能だし、そんな「一関辞典」みたいなことは誰も期待していないわけですが、やっぱり「一関と言えばエイミーさん」なんて言ってくれる人たちに対して申し訳ないし、私より一関を語れる人に語ってもらったほうが、市のPRとしては正しいよな、と思うようになったわけです。
また、出身者の中には、やっぱりどうしても「出身者じゃないエイミーなの?」と思う人もいます。そりゃあそうですよね。
私としては出身であろうと出身でなかろうと、一関の魅力を大声で叫んでくれる人がいればそれでいいと思っています。
そして、私の行動は自分の意志の強さから生まれていますが、その意思を支えるのは自信です。しかし一関に対して「最近あまり行けてなくて新しい情報がキャッチアップできていない」という不安は、私から自信を奪っていきます。そんな状態で何かをやっても、いつかうまくいかなくなる。「上手くいかないんじゃないか」と思っている自分自身が負担になる。だったら一度、私の名前は看板から取ろう、そう思った次第です。
「2」については、やはり年齢的にいろいろ今後のキャリアについて考える機会が増えています。今の仕事で継続して成果を出しつつ、自分の名前で少しずつビジネスも始めています。でも、いろいろやってみて思うのは、「結局私は何をしたいのか」を一度ちゃんと突き詰めて考えないと、トライ・アンド・エラーではなかなか先が行き詰ってきたな、と感じます。そこで、「怠ける」のではなく「白紙の時間」を増やして「考える」ということをしたくなったのです。
本当は今年の復興バーもどうするか悩みました。本業が非常に立て込んでいて、まったく動ける自信がなかったのです。
でも、「自分にできることがあるのに挑まなくていいのか」という思いと、あと、私を一関好きに育て上げた『一関の父』が、今年で定年を迎えます。そしたら私は、やっぱり最後を飾らなきゃなあ、と思い、エントリーしました。あとは周りのみんなが私のお尻を叩いてくれて、なんとか盛会のうちに終わりました。結果、やって本当に良かった。繰り返しになりますが、お客様から仲間から、応援のメッセージやコメントをくれたみなさんから、本当に感謝です。感謝しかないです。
そうやって締めた「エイミーのいちのせキッチン」ですが、来年からはエイミーという看板を取り、仲間たちが引き継いでくれる予定です。もちろん私もお手伝いします!開催の暁には、ぜひ来てくださいね!!
そしてさっそく、方々から「期間限定で復帰してよ!」「復興バー以外のところでコラボしようよ!」という、ありがたい声をいただいています。本当にありがとうございます。状況を見て、一つ一つ誠実に検討させていただきます。こういうお声はとっても嬉しいです。ありがとうございます^^
一関は良いところです。
一関は、岩手の中では比較的気候も温暖です。そして、全国の自治体で9番目という広大な面積を持ち(香川県と同じくらいの大きさ)、地域によって異なる、個性豊かな文化があります(私はこれを文化の玉手箱と呼んでいる)。そして景色が美しく、食が豊かで、人が優しい。
でも、たぶん景色とか食とか人とかって、当然ですが他の自治体にもステキなものがあるわけです。だけどそれを自分で自覚できていない自治体が多いから、的外れなPRになったり、PR自体ができなかったりしている。
一関市のすごいところは、市の魅力を的確に把握している敏腕広報(正確には広報部ではないが)が、私の一関の父をはじめ、何人も市役所の中にいて、市井の中にもそういう人たちがたくさんいて、それを的確に発信出来ているのがポイントなんだと思います。もちろん、超有名自治体に比べればまだまだ認知は低いですが、その自治体に出身者でない人が何度も通い続けているというのが本当にすごい。いとこか親戚くらいの感覚で東京と一関を行ったり来たりしている人がたくさんいる。そういう人たちが、どんどん輪を広めていっている。これは本当にすごいと思う。私は仕事でもたまにほかの自治体の人に合うけれど、こういうパワーのある自治体はそうそう見ない。
でも、一番は、「相性」何だと思います。
自然とか食とか人とか言っているけど、最後は相性。私にとって一関は、なんだかとってもしっくりくる場所だった。それはたぶん言葉では説明できない。言葉では説明できないけれど、多分一番大事なことなんだと思います。
このブログを書くにあたる、これまで一関に行った時の写真を振り返ってみたけど、改めて本当によく行ったし、いろんな人にあったし、楽しい思い出ばっかりで、なんだか写真見るだけでジンとしてきました。「あれ、ファイナルってしたのは時期尚早だった!?」って、、、いやそれはないですが、とにかく思い出の詰まった一関です。「エイミーのいちのせキッチン」はこれで最後ですが、これからも、また行きます。一関のみなさま、これからもどうぞよろしくお願いします!!
【おまけ】わかる人だけはわかる、一関でのステキなあれこれ。(時期はバラバラです)
このブログを書くにあたって振り返った写真から一部紹介。一部にも関わらず枚数多すぎなので、説明は簡単に…。
我らが一関の勝部市長。市長が情熱的で かつフットワークの軽い方だから、一関市はこんなに元気なんだと思います。
そして、表敬訪問させていただいたこともありました。一関ファンの寄せ書きをプレゼントさせていただきました。懐かしいです。
そして、私と一関をつなげたのはこの方。今となっては「カンブリア宮殿」にも出るようになった格之進・千葉社長。格之進で行われていた「うまいもんまるごといちのせきの日」に参加しなかったら、そもそも私と一関市が出会うこともなかったわけです。社長、本当にありがとうございます。お肉、いつも美味しいです!!
南部一郎かぼちゃの生産に励む、骨寺の佐藤さん。そういえば、某人がまだデロイト時代に、一関の農家に詳しいコーディネーターとして佐藤さんはじめ何人かの農家さんをアテンドしたこともありました。懐かしい。
いつも買います、ポラーノのアイス。東京進出してほしい(笑)
一関の観光地の中で一番好きなのが猊鼻渓。ここも、一関に行くときは必ず寄ります。冬の川下りはこたつ付き♡
舟を楽しんだ後は船着き場のそばにある東山和紙の工房で和紙作り。またやりたい。
猊鼻渓と名前が似ているけど厳美渓。これが初めて一関に行った時の写真ですね。二人とも、懐かしいです。。。
磐乃井酒造の阿部社長。イケメン杜氏さんでもある。
津波で工場も家も流され、気仙沼から一関に工場を移して再起奮闘中の丸光正麺さん。
一関の定宿、観樂樓の佐藤静雄さん。この人も私にとってかけがえのない一関の家族です。隠れキリシタン殉教の地でもある藤沢でガイドのお仕事もされています。最近行けてなくてごめんね。。。また行きますからね。
一関と言えばもち!せきのいちのもちと、もちサミットの様子。この日初めて嘉奈さんに出会いました!!
嘉奈さんは、私の「市役所にお勤めの人」のイメージをパワフルさで覆してくれました。真冬の雪の中、車二台で向永さんの仕事を訪ねたときは本当にワクワクしました!事故がなくて本当によかったです!笑
そして向永さん、私は向永さんの職人気質なところが大好きです。早く元気になって戻ってきてくださいね!待ってるんですからね!
農家と言えばこの方も大好きな方!「ごぼう茶」でおなじみの、葛西農産の葛西さん。葛西さんちで農業体験させてもらったのは本当にいい思い出です。この写真、何度見てもすごい!ごぼうのしなりがすごい!
そしてもう一人忘れてはいけない農家がいる!すっちゃん。最近連絡できていなくてすみません。すっちゃんが「食べる通信」で取り上げられる日を楽しみに待っています。一緒にやったおもちつき(おもちこね?笑)楽しかったです!ご家族にも本当にお世話になりました!
そして私にとって絶対に外せないのがこの思い出、千厩マランツさんのしいたけ工場見学。きのこ類が大好きな私は、クラシック音楽を聴いて栽培されるしいたけが見たくて工場見学に行き、そこで、生えすぎて処分されるしいたけの赤ちゃんを見つけます。これを東京に持って帰って試しに料理したら美味しかった!というのが、ちびたけの誕生秘話!素敵な機会を作ってくれたかっちゃん、浅野さん、美明さん、本当にありがとうございます!!!
そして一風変わったところでペコちゃん!実は不二家の牛乳は一関で作られていて、こんな素敵なパックと、ペコちゃんが座っている工場があります!!
そのペコちゃんのところから比較的近いところで、なたねあぶらを生産している伸吾さん。私は、このなたねあぶら誕生秘話が何よりも好きです。私が「いちのせき食べる通信」を創刊した暁にはぜひ取り上げたかったなたねあぶらと、それを使った料理。絶品です。
いちのせキッチンでは定番メニューのスモークベーコンとスモークチーズのセット。それを作っているのがこちらの道楽亭さん。味はもちろんなのですが、私はこのお店の雰囲気と佐藤さんの雰囲気が大好きです^^ いつもお磯雄ものをありがとうございます!!
食べ物だけじゃありません、伝統工芸だってあります。蜂谷さんは染物屋さん。伝統を守りつつ、若者や海外の人にも愛される新しい染めの世界に挑戦されています。蜂谷さんにオーダーメイドのワンピースを作ってもらうのが、私のささやかな夢のひとつです!
蜂谷さんと初めて出会ったのは佐藤柊平くんが中心となって開催された「はっぷん塾」でしたでしょうか。一関に人を呼び込むには何をすればいいのか、そういったことに本気で取り組む仲間たちと出会えたのもとっても貴重な体験でした。
そしてクラフトビール好きにはたまらない、地ビールフェス!支所長の藤野さんの笑顔が素敵です☆一関の偉い人は優しくてフレンドリーな方が多くて、私は大好きです!!
そんな藤野さんがわざわざ駆けつけて応援に来てくれたのが、原宿で開催されたトレジオンのフェスティバル、通称トレフェスでの餅つき大会!おもちについてお話しいただきました!!
今回、私に「一関の父」に続き、「一関の叔父」ができました!(笑)いつも私の話を聞いてくれる菅原さん。岩渕さんの後任が菅原さんで本当によかったです。菅原さんの優しさにいつも支えられています!!
そして、そんな皆様のおかげで復興バーも4回まで行うことができました!こちらは一昨年の集合写真!みんな本当にありがとうございます!!
これだけじゃなく、もっともっと思い出にあふれています。
そしてこれからも、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!!
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