もしそれが”運命”だったら、再びまためぐってくるって、私は思っている。

誰にだって、夢中になったものってあると思う。

スポーツだっていいし、勉強だっていいし、習い事でも、恋愛でも、無心になれるもの。

私にもいくつかそういうものがあったけれど、最大にして最高に夢中になったもの。
それは、「ものを書く」ということだった。

正直に言うと、そこまで読書が好きだったというわけではない。
本が好きというより、空想が好きな子供だった。

両親が畑仕事をしている間、弟と二人で庭に茣蓙を敷いて「ごっこ遊び」をしたり、森の中で追いかけっこしたり、そういう中から、勝手に空想の世界が始まっていった。風や雨と話せると思っていたし、妖精もいると思っていた。

とはいえ、いつしかそういう思いも消えうせ、友達付き合いに馴染めなかったり、病弱だったりで、次第にがり勉になっていって、およそ空想と関係ない世界に行ったはずだったのに、突然ビリビリと刺激されてペンを取ったきっかけは、高校受験の際に行った、本命高校の文化祭だった。

どういうわけかそこで私は文芸部の教室に迷い込み、物静かなのにマニアックな雰囲気を漂わせる不思議な人々の同人誌を手に取り、ガツンとやられた。

無事に本命高校に入学した私は、当時県内上位2%に入っていた学力を全部棒に振って、3年間、文章を書くこと以外に何をしたのか、まったく記憶にない。

そのくらい、書くことが好きだった。

そんなに打ち込んだにもかかわらず、人間にはやっぱり「時代」というものがあって、夜間大学に進学したタイミングで仕事以外のことに興味がなくなり、ものも書かなくなった。ぱたりと興味が失せたのだ。

作家になると言ってわざわざ表現芸術系専修に進んだのに、まったくペンを持てなくなった自分に最初は焦ったが、救いになる言葉があった。
それは、村上龍が「13歳からのハローワーク」で「作家」について解説した一言だった。

『作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ。』
『作家の条件とはただ1つ、社会に対し、あるいは特定の誰かに対し、伝える必要と価値のある情報を持っているかどうかだ。伝える必要と価値のある情報を持っていて、もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい。』
(「13歳からのハローワーク」より。)

その言葉に許されて、私はペンを置いた。

 

それからもう、干支が一周するほどの年月が流れた。
ここにきて再び、ものを書く機会が多くなってきた。

表現することは、やっぱり面白かった。

そんな中でも、自分にとって最近で最高の文章だと思っているものが、冊子になりました。
一関市の広報誌I-Styleの川崎地区版にファンとして思いを寄稿させていただきました。

一関の川嶋印刷さんのおかげで、こんなにステキなレイアウトにしていただきました。
先方の許可を取って、全文を掲載します。ご興味ありましたら、ぜひご一読ください。
今の私にとっての『伝える必要と価値のある情報』です。

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『私にとっての川崎』

一ノ関駅のロータリーから大町の交差点を左折し、新大町の交差点をさらに左折する。あとはひたすら気仙沼街道をまっすぐ。ドライブが大好きな私にとって、すでに愛着がある馴染みの道。森に、畑に、水田に、時折並走するドラゴンレール。山がちな道が突然開けたかと思うと、北上大橋が口を開いて待っている。私にとって川崎の玄関口であり、川崎と聞いて真っ先に思い出すのが、この北上大橋と雄大な北上川の風景です。この景色を印象深く感じるのは、海や川がない埼玉県南西部で育ったせいかもしれません。

私は東日本大震災をきっかけに東北でボランティア活動を行うようになり、岩手県の大ファンになりました。中でも一関市をこよなく愛し、第二のふるさとと公言していますが、最初にご縁を頂いたのが、まさに川崎地区でした。というのも、私が一関を好きになるきっかけが、市が東京で開催している「うまいもんまるごと いちのせきの日」というイベントで、その会場が東京の六本木にある「格之進R」だったことに由来します。はじめていただいた「いわて南牛」が美味しいこと。会社で接待があるときは、まず一番に格之進を候補として挙げています。以来、川崎には4回ほどお邪魔していますが、滞在中に「格之進」とその向かいの「道の駅川崎」に行かなかったことは、恐らく一度もありません。

川崎には、「いわて南牛」の他にも私の大好きなものがたくさんあります。現在、我が家には8種類のお米があります。東北を行き来すると、あちこちの生産者からお米を頂く機会があります。どれも本当に美味しいですが、正直に言うと、味の違いは大差ないと思っていました。川崎の「めだか米」を頂くまでは。めだかはありふれた生き物のようで、実は絶滅危惧種に指定されています。デリケートなめだかでも住める美しい水田。そこに育つ「めだか米」は、米に張りと弾力があって、ぴかぴかに光っていて、本当に美味しいです。

そして、豊かな北上川がはぐくんだ肥沃な大地で育ったごぼうと、それを使ったごぼう茶。これも私のお気に入りで、毎日飲んでいます。実際にかさい農産さんにお邪魔して、ごぼう掘りを体験させてもらったことがあります。その時の驚きは今でも覚えています。実は私の実家も専業農家でして、子供のころはよくごぼう掘りの手伝いをしていました。しかし、実家のごぼうは横に機械で深い穴を掘らないと抜けませんし、ちょっと気を抜くと途中で折れてしまいます。しかし、葛西さんのごぼうは横に少しスコップを入れるだけで、するりと抜けて、しかもしなやかで折れにくい。これは恐らく、北上川が運んできた土壌が柔らかくて豊かだからではないかと思っています。私にとって、まるでエジプトのナイル川とナイル文明が、北上川と川崎にあたるのです。

川崎には、まだまだ私の知らない魅力がたくさんあると思います。これからも通って、美味しいもの、あたたかい人、美しい景色を堪能させてください。川崎のみなさま、いつもありがとうございます。また遊びに行きます。

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コメント

  1. 中里佳代 より:

    所北文芸部に在籍しておりました中里です。お久しぶりです。
    ふとした切っ掛けでこちらのサイトを発見し、感慨深く拝読しました。
    昔と変わらずエネルギッシュに活動されている様で、胸が熱くなりました。
    私も頑張ろうと気合が入りました。ありがとう。
    どうぞお身体に気をつけて、やりたい事に邁進して下さい。

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